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土偶 合掌土偶(複製品)

青森県八戸市風張1遺跡出土

NHK日曜美術館50年展で展示されている合掌土偶(がっしょうどぐう)の複製品は、青森県(あおもりけん)八戸市(はちのへし)風張(かざはり)1遺跡(いせき)から出土した原品に倣(なら)って制作されました。縄文時代(じょうもんじだい)中期(ちゅうき)、紀元前3000年から紀元前2000年頃(ごろ)に作られたとされるこの土偶は、土製(どせい)であり、茅野市(ちのし)尖石(とがりいし)縄文考古館(じょうもんこうこかん)が所蔵(しょぞう)する原品(げんぴん)が、当時の人々の精神世界(せいしんせかい)と造形感覚(ぞうけいかんかく)を現代(げんだい)に伝(つた)える貴重(きちょう)な遺物(いぶつ)です。

背景・経緯・意図

合掌土偶の原品が制作されたのは、縄文時代の中でも特に土偶の製作が盛んになった中期にあたります。この時代は、人々が定住生活(ていじゅうせいかつ)を確立し、食料の安定供給(あんていきょうきゅう)が可能になったことで、精神文化(せいしんぶんか)が大きく発展(はってん)した時期と考えられています。縄文人は自然(しぜん)に対する深い畏敬(いけい)の念(ねん)を持ち、豊穣(ほうじょう)や生命(せいめい)の再生産(さいせいさん)を願う祭祀(さいし)や儀礼(ぎれい)を行っていたと推測(すいそく)されます。合掌土偶の制作意図(せいさくいと)は、その独特(どくとく)なポーズから、集落の安寧(あんねい)、五穀豊穣(ごこくほうじょう)、あるいは女性(じょせい)の安産(あんざん)や子孫繁栄(しそんはんえい)を祈(いの)る呪術的(じゅじゅつてき)な目的(もくてき)があったと考えられています。両手を合わせる姿勢は、祈りや感謝(かんしゃ)を表す普遍的(ふへんてき)なジェスチャーであり、縄文人もまた、このポーズに何らかの神聖(しんせい)な意味(いみ)を込(こ)めていたと推測されます。

技法や素材

合掌土偶の原品は、縄文人が身近な素材(そざい)である粘土(ねんど)を用いて、手びねり(てびねり)という技法(ぎほう)で一つ一つ丁寧に形作られました。これは現代の陶芸(とうげい)における原始的(げんしてき)な技法で、ひも状(じょう)にした粘土を積み上げたり、塊(かたまり)から削(けず)り出したりして成形(せいけい)します。多くの場合、内部は中空(ちゅうくう)に作られており、これは焼成時(しょうせいじ)の破損(はそそん)を防(ふせ)ぐため、または軽量化(けいりょうか)や、魂(たましい)を宿(やど)すための空間(くうかん)といった特別な意味合いがあった可能性(かのうせい)も指摘(してき)されています。その後、野焼き(のやき)に近い状態(じょうたい)で低温(ていおん)で焼(や)き固(かた)められたと推測されます。表面(ひょうめん)には、当時の縄文土器(じょうもんどき)に見られるような縄目文様(なわめもんよう)は顕著(けんちょ)ではありませんが、滑(なめ)らかな肌(はだ)触(ざわ)りや、頭部(とうぶ)や四肢(しし)の造形(ぞうけい)には、作者の細(こま)やかな表現意図(ひょうげんいと)が感じられます。

意味

合掌土偶に見られる「合掌」というモチーフは、今日(こんにち)においても祈(いの)り、感謝(かんしゃ)、尊敬(そんけい)の念(ねん)を示す世界共通(せかいきょうつう)のしぐさです。縄文時代においても、この姿勢(しせい)は、神聖(しんせい)な存在(そんざい)や祖霊(それい)に対する敬意(けいい)を表し、集落(しゅうらく)全体の幸福(こうふく)や自然(しぜん)の恵(めぐ)みへの祈(いの)りを込(こ)めたものであったと考えられます。また、多くの土偶が女性(じょせい)を模(も)していることから、合掌土偶もまた、大地(だいち)の豊穣(ほうじょう)や生命(せいめい)の源(みなもと)である女性(じょせい)の力(ちから)を象徴(しょうちょう)し、安産(あんざん)や子孫繁栄(しそんはんえい)を願(ねが)う意味(いみ)が込められていたと推測(すいそく)されます。土偶がしばしば壊(こわ)れた状態(じょうたい)で発見(はっけん)されることから、儀式(ぎしき)の終(お)わりに、願い(ねがい)が込(こ)められた土偶を壊(こわ)すことで、その願い(ねがい)を昇華(しょうか)させる、あるいは厄(やく)を払(はら)うといった役割(やくわり)があった可能性(かのうせい)も指摘(してき)されています。

評価や影響

合掌土偶の原品が発見(はっけん)された当時(とうじ)は、現代(げんだい)のような「美術品(びじゅつひん)」としての評価(ひょうか)が直接(ちょくせつ)行われたわけではなく、縄文時代(じょうもんじだい)の生活(せいかつ)や精神文化(せいしんぶんか)を解明(かいめい)するための貴重(きちょう)な考古学的(こうこがくてき)な資料(しりょう)として位置付(いちづ)けられました。しかし、現代(げんだい)においては、その独特(どくとく)な造形美(ぞうけいび)と表情(ひょうじょう)豊かな姿勢(しせい)から、縄文文化(じょうもんぶんか)を代表(だいひょう)する芸術作品(げいじゅつさくひん)として極(きわ)めて高(たか)く評価(ひょうか)されています。日本(にほん)の原始美術(げんしびじゅつ)の傑作(けっさく)の一つ(ひとつ)として国内外(こくないがい)で広(ひろ)く知(し)られ、その抽象的(ちゅうしょうてき)でありながら力強(ちからづよ)い表現(ひょうげん)は、現代美術(げんだいびじゅつ)にも通(つう)じる普遍的(ふへんてき)な魅力(みりょく)を持(も)つとされています。後世(こうせい)の美術(びじゅつ)や他(ほか)の作家(さっか)に直接的(ちょくせつてき)な影響(えいきょう)を与(あた)えるという形(かたち)ではありませんが、合掌土偶をはじめとする縄文土偶(じょうもんどぐう)の美意識(びいしき)は、日本(にほん)の美術(びじゅつ)の根源(こんげん)の一つ(ひとつ)として、現代(げんだい)のアーティストにも多大(ただい)なインスピレーションを与(あた)え続(つづ)けています。日本美術史(にほんびじゅつし)において、合掌土偶は縄文人(じょうもんじん)の精神性(せいしんせい)と高度(こうど)な造形力(ぞうけいりょく)を示す(しめす)象徴(しょうちょう)として、揺(ゆ)るぎない重要(じゅうよう)な位置(いち)を占(し)めています。