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飛べなくなった人

石田徹也

NHK日曜美術館(にちようびじゅつかん)50年展に出品された石田徹也(いしだてつや)の作品「飛べなくなった人」は、1996年に制作されたアクリル板絵(ばんえ)で、現代社会に生きる人々の抱える不安や閉塞感(へいそくかん)を象徴的に表現しています。本作品は現在、静岡県立美術館に所蔵されています。

背景・経緯・意図

石田徹也は、1990年代半ばから2000年代初頭にかけて精力的に活動した画家であり、その作品は一貫して現代社会における人間の疎外(そがい)や孤独、無力感をテーマとしています。彼の作品が制作された時代は、バブル経済崩壊後の「失われた10年」と呼ばれ、社会全体が閉塞感に覆われていました。このような時代背景の中、石田は、サラリーマンや学生といった日常的な人物をモチーフに、機械と一体化したり、非日常的な状況に置かれたりする姿を描くことで、現代人が直面する苦悩(くのう)や不条理(ふじょうり)を表現しようと試みました。 「飛べなくなった人」も、こうした彼の代表的なテーマを反映した作品の一つと考えられます。空を飛ぶという希望に満ちた行為が不可能になった状態を描くことで、目標を失い、身動きが取れなくなった現代人の精神状態や、社会のシステムに組み込まれて自由を奪われた状況を暗示していると推測されます。

技法や素材

本作品は、アクリル絵具(えのぐ)を板に描くという技法が用いられています。アクリル絵具は、速乾性(そっかんせい)が高く、重ね塗りや細密描写(さいみつびょうしゃ)に適している点が特徴です。石田徹也は、このアクリル絵具を用いて、人物の表情や衣服の皺(しわ)、背景の細部に至るまで、極めて緻密(ちみつ)に描写しています。また、板を支持体(しじたい)とすることで、キャンバスに比べて平滑(へいかつ)な画面が実現され、アクリル絵具特有のフラットで均質な色彩表現が強調されています。彼の作品に見られる明瞭(めいりょう)な輪郭線(りんかくせん)や、現実感を持ちながらもどこか非現実的な雰囲気を醸し出す(かも しだす)描写は、アクリル絵具の特性を最大限に活かした彼の工夫であると言えるでしょう。

意味

作品名にある「飛ぶ」という行為は、一般的に自由、希望、向上心、あるいは現実からの解放といったポジティブな意味合いを持つ象徴として捉えられます。しかし、「飛べなくなった人」というタイトルは、その対極(たいきょく)にある、自由の喪失(そうしつ)、希望の挫折(ざせつ)、あるいは社会的な重圧(じゅうあつ)によって身動きが取れなくなった状態を示唆(しさ)しています。作品に描かれた人物が具体的にどのような状況にあるかは明示されていませんが、彼の作品全体に共通するテーマ性から、この人物は現代社会のシステムや規範(きはん)に縛られ、個人の自由な意思や可能性が奪われた状態にある現代人の象徴であると解釈されます。 また、背景に描かれる都市の風景や無機質な空間は、個人の意思とは関係なく機能し続ける社会の冷徹(れいてつ)さを表していると考えられ、その中で「飛べなくなった」人物の姿は、現代社会における個人の無力感や孤独感をより一層際立たせています。

評価や影響

石田徹也の作品は、生前から美術関係者や若者を中心に高い評価を得ていましたが、2005年の突然の死後、その評価は国際的にも高まりました。特に、2009年にNHK日曜美術館で特集が組まれて以降、彼の存在は広く知られるようになり、現代社会の抱える問題や人間の内面を描き出す先駆的な画家として、再評価が進みました。 彼の作品は、そのシュールで独創的な表現の中に、多くの人々が共感できる普遍的なテーマを含んでいるため、見る者に強いインパクトを与え、現代美術におけるリアリズム表現の可能性を広げたと言えます。また、彼の死後も、国内外で多くの展覧会が開催され、若手アーティストをはじめとする後世の表現者たちに大きな影響を与え続けています。美術史においては、バブル崩壊後の日本社会の精神性を具象(ぐしょう)的に表現した画家として、重要な位置を占めています。