熊谷守一
「NHK日曜美術館50年展」に出品される熊谷守一(くまがいもりかず)の油彩画《宵月(よいづき)》は、1966年に制作された板に油彩の作品で、現在は佐助文庫(さすけぶんこ)に所蔵されています。この作品は、熊谷が70歳を過ぎて確立した独自の画風「モリカズ様式」の典型を示し、身近な自然に対する画家の深い眼差しが凝縮されています。
熊谷守一は1880年(明治13年)に岐阜県に生まれ、東京美術学校(現・東京藝術大学)で黒田清輝(くろだせいき)や藤島武二(ふじしまたけじ)に師事し、初期には写実的で内面を深く探求するような画風を展開しました。しかし、長い画業の中でその作風は大きく変遷し、特に70歳を過ぎた晩年には、対象の形を極限まで単純化し、明快な色彩と輪郭線で構成する「モリカズ様式」と呼ばれるスタイルを確立しました。
熊谷は「画壇の仙人(せんにん)」と称され、名誉や金銭に執着せず、自宅の庭を「小宇宙(しょううちゅう)」と見立てて、草木や昆虫、猫など身近な生き物の観察に没頭しました。この飽くなき観察と、対象の本質を見極めようとする哲学的な探求が、彼の作品の根底にあります。1966年に描かれた《宵月》は、彼の晩年の創作態度がよく表れた作品であり、外の景色を見てそれを自身の内面を通して表現するという、熊谷独自の認識論的な問いが込められていると推測されます。
本作は油彩で板に描かれており、熊谷守一が晩年に好んで用いた素材と技法の特徴が顕著に現れています。板という支持体は、キャンバスに比べて絵具の吸収が少なく、滑らかな平面的な塗りを実現しやすいという特徴があります。熊谷の「モリカズ様式」では、明るく平滑な色面と、それを囲む明確な輪郭線が特徴的であり、特に赤い輪郭線がしばしば見られます。
一見すると単純に見えるこの表現は、色彩学に基づいた緻密な計算と、対象を深く観察した上で本質を捉える画家の眼差しによって生み出されています。彼は、明暗によって立体感を表現するのではなく、補色関係にある色を隣り合わせに配置することで、色が前面に浮き上がって見えるような視覚効果を生み出すなど、色彩の工夫を凝らしました。また、輪郭線の部分を丁寧に塗り残すことで、それぞれの色面が独立した塊として認識されるよう工夫されていたことも指摘されています。筆跡は一方向に揃えられているように見えながらも、細部では描き分けられており、計算された画面構成によって奥行き感が表現されていると考えられます.
作品名である「宵月」は、日が暮れて間もない頃の夕方の空に見られる月、特に夜半には沈んでしまう儚(はかな)い月を指す言葉です。多くの場合、旧暦八月(現在の九月頃)の上弦の月(じょうげんのつき)の頃の月を指すとされます。
月というモチーフは、古くから女性らしさ、優しさ、直感、再生、成長、そして希望を象徴すると言われています。この作品では、夕暮れの紺碧(こんぺき)の空が闇を深める手前、樹木や木の葉が影となって黒く沈む中で、宵月の柔らかな光がその影の輪郭を照らし出す様子が描かれていると解釈できます。月光に照らされ浮かび上がる対象の境界線が、熊谷ならではの紅(くれない)の輪郭線で表現されており、あるがままの自然の光を捉え、その本質を描き出そうとする画家の姿勢が反映されていると考えられます。この作品が持つ意味は、単なる写実を超え、画家が身近な自然から感じ取った生命の輝きや、静謐(せいひつ)な時間の流れを象徴していると推察されます。
熊谷守一は、その独特な画風と生き様から「画壇の仙人」と呼ばれ、多くの人々に愛され続けています。1967年(昭和42年)には文化勲章(ぶんかくんしょう)の内示(ないじ)を、1972年(昭和47年)には勲三等叙勲(くんさんとうじょくん)を「これ以上、人が来るようになっては困る」という理由で辞退した逸話(いつわ)は、世俗的な名誉よりも自由な制作活動を重んじた彼の芸術家としての気骨(きこつ)を象徴しています。
彼の作品は、現在でも美術品市場で高い評価を得ており、「モリカズ様式」と呼ばれるその作風は、美術館でも重要な収蔵品として扱われています。没後もその人気は衰えることなく、2017年(平成29年)から2018年(平成30年)にかけて東京国立近代美術館で開催された「没後40年 熊谷守一 生きるよろこび」展は、200点以上の作品が展示され、多くの人々の関心を集めました。また、豊島区立熊谷守一美術館をはじめ、全国各地に彼の作品を所蔵する美術館が点在し、作品を通じて彼の生涯と芸術に触れることができます。熊谷守一の作品は、その簡潔で力強い表現の中に、生命への深い慈(いつく)しみと、独自の哲学が込められており、後世の多くの芸術家や人々に影響を与え続けていると言えるでしょう。