ポール・セザンヌ
「NHK日曜美術館50年展」に出品されるポール・セザンヌの《ジャ・ド・ブーファンの大樹》は、1885年から1887年頃に制作された水彩、鉛筆による紙の作品であり、現在は静岡県立美術館に所蔵されています。この作品は、明るい色彩と規則的なタッチが特徴で、記憶を素早く描きとどめるために作者が好んで水彩画を用いたと考えられています。また、画面の右上から左下へと走る斜めの筆触は、1880年代のセザンヌ(Cézanne)特有の手法とされています。作品名にある「ジャ・ド・ブーファン」とは、セザンヌが愛した故郷、エクス=アン=プロヴァンスの別荘の名前です。
ポール・セザンヌは、1880年代に入ると印象派(いんしょうは)のグループから距離を置き、伝統的な絵画の約束事にとらわれない独自の絵画様式を探求するようになりました。この頃、彼は故郷である南フランスのエクス=アン=プロヴァンスを制作の拠点とすることが多くなります。 作品のモチーフとなっている「ジャ・ド・ブーファン」は、セザンヌの父が1859年に購入したエクス市郊外の広大な屋敷で、「風の館」を意味するとも言われています。この敷地には農場や美しい館があり、栗(くり)の並木道、そして遠くにはサント・ヴィクトワール山(Mont Sainte-Victoire)を望むことができ、セザンヌに生涯を通じて数多くの主題を提供しました。 セザンヌは1880年代初頭からエクスで過ごす時間が長くなり、1882年以降の作品にはジャ・ド・ブーファンの風景が頻繁に描かれるようになります。本作の制作時期である1885年から1887年は、画家がこの地の多様なモチーフを深く掘り下げて探求した時期にあたります。この期間は、セザンヌにとって失恋や父の死、長年の友人エミール・ゾラとの決裂(けつれつ)といった個人的な出来事が重なった時期でもあり、作品には穏やかでありながらも諦念(ていねん)に満ちた心境と、自然への深い没入が反映されていると推測されます。
本作は紙に水彩と鉛筆を用いて描かれています。セザンヌは記憶を素早く描きとどめるため、しばしば水彩画を好んで用いたとされています。彼の水彩画は、油彩画(ゆさいが)とほぼ同じ頻度で制作されており、長く下絵(したえ)のための画材と見なされていた水彩絵の具を、独立した表現手段として高く評価していたことがうかがえます。 セザンヌの水彩技法は、緻密なスケッチの訓練から培(つちか)われたもので、色を重ねることで厚みを出すのではなく、紙の白地を巧みに残しながら、透明感のある色彩で空気感を表現することに特徴があります。また、本作に見られる明るい色彩と規則的なタッチ、そして右上から左下へと流れるような斜めの筆触は、1880年代のセザンヌ作品に特徴的な表現手法です。 鉛筆は、デッサンを制作の基本とし続けたセザンヌにとって、構図の骨格を捉(とら)え、描かれる対象の形態を分析する上で不可欠な役割を果たしました。国立西洋美術館に所蔵されている同地の油彩画《葉を落としたジャ・ド・ブッファンの木々》の解説にも、粗い筆致で描かれた木々と、帯状(おびじょう)に構成された大地が、セザンヌならではの堅固な空間秩序を保っていると指摘されており、本作においても水彩という異なる素材を用いながら、同様の空間構成への意識が働いていたと考えられます。
セザンヌにとって「ジャ・ド・ブーファン」は、単なる物理的な場所ではなく、故郷であり、家族が暮らす父の屋敷という、極めて個人的かつ象徴的な意味を持つ場所でした。彼はこの地の風景を繰り返し描くことで、自身の芸術的探求の重要な舞台としていました。 セザンヌは、自然の構造を分析し、それを画面上に再構成する手法を追求した画家であり、風景画を通して自然の本質的な秩序を捉(とら)えようとしました。印象派の画家たちが移ろいゆく光の変化に焦点を当てたのに対し、セザンヌは対象物そのものの堅固な構造と恒常性(こうじょうせい)を表現しようとしました。 この作品のような風景画は、単なる写実的な描写を超え、画家が自然から受け取った感覚や記憶、そしてそれを画面上で再構築する知的なプロセス(過程)の成果と解釈できます。1880年代半ばは、セザンヌが自然の色彩の中に調和を見出し、暖色と寒色のバランスを追求した時期でもあり、色彩を通して空間の密度をコントロールしようとした彼の努力が作品から読み取れます。作品に内在する秩序と同時に感じられる静けさは、当時の画家の心境、すなわち穏やかでありながらも深く自然に没入していた感情を伝えるものだったと考察されます。
ポール・セザンヌは、生前のキャリア初期においては官展(かんてん)であるサロンでの入選を繰り返し拒否され、その作品はなかなか正当な評価を受けることができませんでした。印象派のグループにも加わっていた時期がありますが、「印象派の中でも最も下手な画家」と揶揄(やゆ)されることもあったと言われています。 しかし、1890年代に入ると、画商(がしょう)アンブロワーズ・ヴォラールがパリで開催した個展の成功を機に、徐々にその真価が認められるようになり、晩年には若い画家たちが彼のもとを訪れるようになりました。セザンヌは、20世紀の美術に計り知れない影響を与えたことから、「近代絵画の父」と称されています。 特に、パブロ・ピカソは「セザンヌはわれわれ皆の父親のような存在だった」と評し、ジョルジュ・ブラックと共にセザンヌの作品の中に、従来の絵画の枠を超えた新しい表現の可能性を見出し、キュビスム(キュビズム)の誕生へとつながりました。また、モーリス・ドニが1900年に制作した《セザンヌ礼賛(らいさん)》は、当時の若い画家たちからのセザンヌへの強い敬愛を示しています。彼の残した「自然を円筒、球、円錐(えんすい)によって扱う」という言葉は、キュビスムに決定的な影響を与えた言葉として広く知られています。 さらに、美術教育においても、セザンヌの「自然をよく観察し、その構造を理解せよ」という教えは、現代の美術教育の基本的な考え方となっています。水彩画の分野においても、セザンヌが下絵ではなく、独立した芸術表現として水彩画の地位を高めた功績は大きく、後世の画家たちに多大な影響を与えました。