ポール・セザンヌ
ポール・セザンヌの「草刈り人」は、1875年から1876年頃に水彩と鉛筆を用いて紙に描かれた作品で、東京藝術大学に所蔵されています [注釈 1]。この作品は、「NHK日曜美術館50年展」において展示され、近代絵画の父と称されるセザンヌの独自の芸術世界の一端を垣間見せるものです。
ポール・セザンヌは19世紀後半のフランスを代表する後期印象派の画家であり、後にキュビスムをはじめとする20世紀の美術に多大な影響を与え、「近代絵画の父」と称されています。彼は当初、印象派の一員として活動していましたが、1880年代からは印象派が重視する光の変化による事物の印象だけでなく、事物の本質や構造を描くことを追求し、独自の絵画様式を確立しました。 この「草刈り人」が制作された1875年から1876年頃は、セザンヌが印象派の画家カミーユ・ピサロとの交流を深め、明るい色彩や外光表現を学んでいた時期にあたります。しかし、彼は同時に、印象派の手法に不満を感じ、自然を古典絵画のような構築的な世界として捉え直そうとしていました。本作は、日常的な主題である「草刈り人」を描きながらも、単なる情景描写にとどまらず、人物や背景の形態を構成要素として捉え、後の彼の画風へとつながる探求の過程を示すものと考えられます。
「草刈り人」は、水彩と鉛筆を用いて紙に描かれています。セザンヌは油彩画だけでなく、水彩画も多く手掛けており、特に水彩は、光や大気の表現、そして形態の量感を試みるための重要な媒体でした。 水彩画の特徴である透明感と、鉛筆による線の組み合わせは、セザンヌが対象の構造を把握し、色彩と形態を融合させるための実験的なアプローチであったと推測されます。彼の作品に見られる繰り返し用いられる試験的なブラシストローク(筆跡)は、平面的な色使いと小さな筆致によって複雑な画面を生成し、対象となる主題を緻密に研究した結果とされています。この時期の水彩画においても、セザンヌは固有色から離れた色彩表現によって、モチーフの量塊と量感を獲得しようとしたと考えられます。裏面には鍬を持つ男の図が描かれており、制作における試行錯誤の跡がうかがえます。
「草刈り人」というモチーフは、当時のヨーロッパの絵画において、農民や労働者の日常を描くジャンルとして存在していました。しかし、セザンヌの作品において、モチーフは単なる写実的な再現に留まらず、絵画を構成する要素として捉えられました。 セザンヌは「自然を円筒、球、円錐によって扱い、全てを遠近法の中に入れ、物や平面の各側面が一つの中心点に向かって集中するようにすること」と述べており、自然の中に内包する幾何学的要素、つまり形を単純化することに関心がありました。この「草刈り人」においても、人物のポーズや背景の風景が、こうしたセザンヌ独自の構成原理に基づいて再構築され、表面的な描写を超えた形態の本質が探求されていると考えられます。これは、鑑賞者に皮をむいて食べたいと思わせるリンゴではなく、ただ見るだけで美しく模写したい気持ちにさせるような、純粋に絵画的な対象としての意味を持たせる意図があったと推測されます。
セザンヌは生前、その作品が同時代の人々になかなか受け入れられず、官展であるサロンへの応募も落選を繰り返すなど、苦難の道を歩みました。しかし、1890年代に入ると、画商のアンブロワーズ・ヴォラールによる個展が開催され、ピサロ、ドガ、ゴーギャン、ベルナールなどの画家たちによって高く評価されるようになります。特に、ナビ派の画家たちはセザンヌの革新的な制作法から多くの影響を受けました。 セザンヌは、20世紀初頭に発生した前衛美術への架け橋を築いた画家として評価されており、彼の作品はパブロ・ピカソやアンリ・マティスといった画家に多大な影響を与え、彼らはセザンヌを「近代美術の父」と称しました。彼の探求した多角的な視点や、自然を幾何学的形態に還元する考え方は、キュビスムの芸術概念の基礎となり、後の抽象表現主義にも影響を与えています。 「草刈り人」のような水彩画は、彼の油彩画における大作の構想を練るための習作でもあったと推測され、その筆致や構成の探求は、セザンヌが追求した「感覚の実現」という美術思想の重要な一端を担っていたと言えるでしょう。彼の作品は、20世紀以降の美術教育においても「自然をよく観察し、その構造を理解せよ」という教えとして、観察力と構成力を養う上で重要な遺産となっています。