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蒙古襲来図

下村観山

下村観山《蒙古襲来図》

この度、「下村観山展」にて紹介される下村観山の《蒙古襲来図》は、1895年(明治28年)に制作された歴史画です。この作品は、現在の東京大学教養学部の前身である旧制第一高等学校が、歴史教育のための絵画資料として東京美術学校(現・東京藝術大学)にゆかりの深い画家たちに制作を依頼した全31点のうちの一点として描かれました。作品は現在、東京大学駒場博物館に所蔵されています。

制作背景と意図 本作品が制作された1895年(明治28年)は、日清戦争終結直後という時代背景にあります。当時の日本では、歴史画において時代考証を重視する傾向があり、下村観山もこの要求に応えました。 旧制第一高等学校からの依頼は、上代から江戸時代に至るまでの歴史上の重要人物や出来事を題材とし、歴史の教材としての役割を担うことを目的としていました。 この《蒙古襲来図》は、蒙古(元)軍と日本軍との間で繰り広げられた激しい地上戦を描写することで、国難に際しての歴史的出来事を視覚的に伝える意図があったと考えられます。

技法と素材 本作は紙本著色(しほんちゃくしょく)の技法を用いており、大きさは縦159.0センチメートル、横233.5センチメートルの一幅です。 観山は、この作品の制作にあたり、「蒙古襲来絵詞」や当時の日本に伝来していたモンゴル軍の兜や鎧などを参考に、綿密な時代考証を行いました。 画面に描かれた破壊された鳥居や地面の瑞垣、あるいはモンゴル軍兵士の結い髪には、「蒙古襲来絵詞」における筥崎神宮(はこざきぐう)の描写やモンゴル軍兵士の姿との密接な類似性が指摘されており、当時の歴史的資料への深い探求が見て取れます。

作品の持つ意味 明治時代において、蒙古襲来を題材とした絵画は数少ないものの、本作品は1890年(明治23年)に「蒙古襲来絵詞」が天皇家に献上され、その模写本や出版物を通じて画家たちに影響を与え始めた時期の早い活用例として特筆されます。 それまでの元寇図が「神風」を中心に描かれることが多かったのに対し、観山の作品は「蒙古襲来絵詞」が竹崎季長(たけざきすえなが)個人の武功を記録したものであったように、個人の武勇や激しい戦闘そのものに焦点を当てています。 このことは、歴史画における図像表現の変遷を示すものとしても重要な意味を持っています。

評価と影響 下村観山の《蒙古襲来図》は、旧制第一高等学校の歴史画群の中でも重要な位置を占める作品として評価されています。近年には修復も行われ、東京大学駒場博物館にて展示公開されています。 明治期の日本画における歴史画のあり方、特に時代考証の重視と「蒙古襲来絵詞」のような古典資料への着目を考える上で、本作品は非常に示唆に富むものです。下村観山の生涯と画業を辿る「下村観山展」でも、その重要な出品作品の一つとして紹介されます。