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四眠

下村観山

下村観山展「四眠」

本作品は、下村観山が1917年(大正6年)に制作し、横浜美術館に所蔵されている「四眠」です。縦171.0センチメートル、横85.5センチメートルの絹本着色による軸装(一幅)として描かれています。

制作背景と意図

「四眠」という画題は、本来「四睡(しすい)」として知られ、生き物が皆眠りについて天地が静まり、禅の悟りが達成された状態を表すものです。 中国・唐時代の禅僧である豊干(ぶかん)とその虎、そして豊干の弟子である寒山(かんざん)・拾得(じっとく)という四者を主題とすることが通例でした。 しかし、下村観山は本作品において、羅漢のような人物を中心に、その膝の上には龍、奥には子ども、そして枝の上には鳥を配するという独自のモチーフへと再構成しています。

このモチーフ変更の具体的な理由は明らかになっていませんが、本作が観山の師である岡倉天心(おかくらてんしん)の没後、仲間たちと再結成した「第1回再興日本美術院展」に出品された重要な作品であることから、この四者には何らかの隠された意味が込められている可能性が指摘されています。

観山が生きた明治から大正期は、西洋文化が日本に流入し、日本画壇も近代化の潮流の中で新しい表現を模索していました。 その中で観山は、日本の伝統を尊重しつつ、古来の技術の継承に大きな役割を果たしながら、西洋画の色彩や表現を取り入れた独自の画風を確立していきました。

技法と素材

「四眠」は絹本着色、軸装という伝統的な日本画の形式で制作されています。 観山は幼少期に狩野派の絵師に師事し、東京美術学校ではやまと絵の技法を深く学びました。 その後、文部省留学生として英国に渡り、大英美術館などで西洋絵画を研究し、特に色彩の習得に重点を置きました。 ラファエロの作品などを水彩で模写し、西洋絵画に劣らない描写力で再現しています。

帰国後は、西洋で学んだ色彩や西洋顔料を自身の作品に取り入れ、琳派の大胆な意匠や装飾性、さらには彫り塗りや付け立てといったやまと絵の技法も駆使しました。 観山の作品は、調和を重んじた色彩と卓越した線描が特徴とされ、その筆致は格調高いと評されています。 本作「四眠」における落款は大正前半期の観山作品に類似しており、その震えるような描線もこの時期の作品に見られる特徴の一つとされています。

作品が持つ意味

本作品の題名である「四眠」は、生きとし生けるもの全てが眠りにつき、天地が静寂に包まれ、禅の境地である悟りが達成された状態を象徴しています。 観山が、本来の「四睡」の画題である豊干、虎、寒山、拾得の組み合わせから、羅漢のような人物、龍、子ども、鳥という新たな構成を選んだことは、当時の観山の心境や、再興日本美術院展への出品という背景と深く関連していると推測されます。

評価と影響

「四眠」が制作された1917年(大正6年)、下村観山は皇室によって優秀な美術家・工芸家を保護奨励する目的で設立された「帝室技芸員」に任命されています。 この栄誉を観山は大変喜び、以後しばらくの間、「帝室技芸員下村観山」の印章を用いていました。

観山は、横山大観や菱田春草といった同時代の画家たちと比較される中で、時に穏健で復古的な作風と評されることもありました。 しかし、彼の作品は卓抜した技法と徹底した古典研究に裏打ちされており、その幅広い古典の素養と研究成果は、今村紫紅、安田靫彦、小林古径といった日本美術院の第二世代の巨匠たちに多大な影響を与えました。 「四眠」は、観山の古典研究と西洋画の要素を取り入れた画風が円熟期を迎えたことを示す、重要な作品の一つとして位置づけられています。 観山の作品は、近代日本画壇において、伝統と革新を融合し、新たな日本画の方向性を示す上で大きな役割を果たしました。