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竹林七賢

下村観山

下村観山作 《竹林七賢》:古典と革新が織りなす東洋の理想郷

本作品は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画家、下村観山(しもむら かんざん)が1915年(大正4年)頃に制作した《竹林七賢》であり、茨城県近代美術館に所蔵されています。伝統的な東洋の主題を通して、画家の卓越した技法と深い精神性を伝える六曲一双の屏風絵です。

制作背景と意図

下村観山は1873年(明治6年)に和歌山で生まれ、幼少期より狩野芳崖(かのう ほうがい)、橋本雅邦(はしもと がほう)に師事し、狩野派の描法を習得しました。その後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)の第一期生として入学し、岡倉天心(おかくら てんしん)の薫陶を受けながら、横山大観(よこやま たいかん)、菱田春草(ひしだ しゅんそう)らと共に、近代日本画の新たな表現を模索しました。1903年(明治36年)には文部省派遣留学生としてイギリスに渡り、2年間の留学期間中に西洋絵画の色彩や技法を研究し、自身の画風に東洋と西洋の要素を融合させる基礎を築きました。

本作品が制作された1915年(大正4年)頃は、観山が横山大観と共に日本美術院を再興し、自身の芸術の頂点を極めていく時期にあたります。この時代、西洋絵画の流入により日本画壇は近代化の波に揺れていましたが、観山は日本の伝統を尊重し、日本古来の技術の継承に大きな役割を果たしました。

「竹林七賢」という画題は、中国の魏末晋初(3世紀頃)に、老荘思想を背景として俗世を離れ、竹林に集まって酒を酌み交わし、清談(世俗を離れた高尚な談論)にふけった7人の隠士たちの逸話に由来します。彼らは阮籍(げんせき)、嵆康(けいこう)らに代表され、その生き方は個人主義的、無政府主義的な老荘思想を鼓吹し、琴を弾き、碁を囲むなど、自由な精神性を追求しました。観山がこの古典的な画題を選んだ背景には、伝統的な東洋の精神性や美的価値を深く探求し、自身の卓越した技法を通じて表現しようとする意図があったと考えられます。

技法と素材

《竹林七賢》は、絹本(けんぽん)に彩色を施した六曲一双(ろっきょくいっそう)の屏風絵として制作されています。観山は幼い頃に狩野派の厳格な様式を習得し、東京美術学校ではやまと絵の線描と色彩の研究に没頭しました。彼の作品には、調和を重んじた色彩と流麗な線描、そしてやまと絵の彫り塗りや付け立てといった技巧が用いられています。また、イギリス留学で学んだ西洋画の色彩も取り入れ、西洋顔料を使用することもあったとされます。

本作品では、人物と竹が金地の背景の上に巧みに配置されています。この金地の使用は、琳派(りんぱ)の大胆な意匠と装飾性、そして古典的な格式を感じさせる、観山独自の画風の特徴を示しています。観山の筆技は「超絶筆技」と称されるほど繊細であり、東西の伝統的な絵画表現を徹底的に学び、自由自在に筆を操るその技術は、他の追随を許さないものでした。

作品の意味

《竹林七賢》は、世俗の喧騒から離れ、精神的な自由を追求する東洋の隠逸思想を具現化したものです。竹林という清らかな空間に集い、酒を酌み交わし、詩歌や音楽に興じる賢人たちの姿は、観山が自身の作品に込めた深い精神性や古典的格調を象徴しています。金地の背景に描かれた人物と竹は、現実を超越した理想の境地を描き出し、見る者に静寂と高潔な雰囲気を与えます。

観山は、生涯にわたり多くの絵画技法を研究し、確かな技術に加えて、象徴性や夢幻性をも盛り込んだ格調高い作品を数多く残しました。本作品もまた、伝統的な主題を観山独自の解釈と技法で描き出すことで、近代化の波の中で失われつつあった精神的な豊かさや、東洋美術の普遍的な価値を問いかける意味を持っていたと言えるでしょう。

評価と影響

下村観山は、明治から大正期における日本画の第一人者として揺るぎない地位を確立しました。彼の作品は、卓越した技法と徹底した古典研究に裏打ちされており、その幅広い古典研究の成果は、今村紫紅(いまむら しこう)や安田靫彦(やすだ ゆきひこ)、小林古径(こばやし こけい)といった日本美術院の第二世代の巨匠たちに大きな影響を与えました。

観山は1917年(大正6年)に帝室技芸員(ていしつぎげいいん)に任命され、1928年(昭和3年)には長年にわたる日仏美術交流への貢献により、フランス政府からコマンドール・カムボージュ勲章を受章するなど、国内外で高い評価を受けました。彼の作品は、横山大観や菱田春草のような様式上の革新を追求する画家とは対照的に、穏健で復古的な性格を持つと評価されることもありましたが、近年ではその古典研究の深さと技法の卓抜性が再評価されつつあります。

《竹林七賢》は、観山の画業の中でも特に充実した時期に制作された作品であり、彼の古典に対する深い理解と、それを近代的な感覚で再構築する手腕が遺憾なく発揮されています。この作品は、日本美術史における下村観山の位置づけを理解する上で重要な意味を持つとともに、東洋絵画の持つ奥深い精神性と美意識を現代に伝える貴重な遺産となっています。