下村観山
下村観山作「弱法師」は、1915年(大正4年)に制作され、東京国立博物館に所蔵されている重要文化財です。この作品は、日本画家である下村観山が、日本の古典芸能である能の演目「弱法師」を題材に描いたものです。
本作は、盲目の青年・俊徳丸(しゅんとくまる)が、梅の花が咲き誇る大阪・四天王寺の庭で、彼岸の落日に向かって拝む謡曲「弱法師」の一場面を描いています。観山は、横浜の実業家である原三渓の招きで横浜本牧の和田山に移り住み、三渓園内の臥龍梅(がりゅうばい)の木に着想を得てこの絵を描いたとされています。下村家は代々紀州徳川家に仕える能楽師の家系であったため、能に通じていた観山は、自身のルーツである能を主題とした絵画制作に活路を見出しました。本作は、岡倉天心を失った後に自己の芸術を模索し始めた観山が、謡曲画題に一つの活路を見出した時期の作品であり、1915年(大正4年)に開催された再興第2回院展に出品されました。
作品は六曲一双の屏風で、絹本金地着色(けんぽんきんじちゃくしょく)という技法が用いられています。寸法は186.4×406センチメートルです。画面には、右から左の屏風にまたがるように大きく枝を伸ばす梅の木と、可憐な白い花が描かれ、散り敷く落花が春の気配を満たしています。その中に立つのは、杖を携え、背を丸めて腰をかがめ、手を合わせる盲目の青年・弱法師です。彼の髪は伸びてほつれ、結んだ目は落ちくぼんでおり、能面を思わせる面貌には能楽的情緒が漂っています。祈りの先には赤い落日があり、あたりには夕闇が迫るドラマチックな情景が描かれています。観山は狩野派、大和絵、琳派、中国絵画、そして西洋絵画まで、東西の伝統的な絵画表現を徹底的に学び、自由自在に筆を操る超絶的な筆技を持っていたと評価されています。特に梅の緻密な描写や、俊徳丸の個性的な表情の表現にその技が光っています。
この作品の主題は、盲目の弱法師俊徳丸が、極楽浄土を観想する「日想観(にっそうかん)」の境地にあることです。彼は目が見えないにもかかわらず、心眼で難波の夕日と極楽浄土を観じ、袖に降りかかる梅の花びらまでも仏の施しと感じるほどの悟りを開いています。作品全体から感じられるのは、しみじみとした哀しみと同時に、ひたむきな想いを捧げる強い情念です。沈む夕日、梅、そして俊徳丸の三つの要素のみで無限の世界を表現している点も特筆されます。
下村観山の「弱法師」は、その完成度の高さから重要文化財に指定されています。美術史家の滝精一は、当時の新聞評で、この作品を観山の近年の傑作であるだけでなく、大正になって現れた作品の中でも最優品であると絶賛しました。また、『読売新聞』の正宗白鳥は、この作品を「新クラシカルの円熟を告げたもの」と評しています。この作品は、観山の壮年期の代表作とされ、堂々たる構図、細部にわたる緻密さ、色彩の美しさなど、画家のあふれる才能を示すものとして圧倒的な評価を得ています。屏風という形式を活かした「3Dの世界」のような奥行きのある表現も高く評価されており、平面として鑑賞するだけでは伝わりきらない魅力を持つとされています。近代日本画の傑作として、その革新性と伝統の融合が多くの人々に影響を与え続けています。