下村観山
下村観山が1909年(明治42年)に制作した「三聖之図」は、横浜美術館に所蔵されている日本画作品です。絹本着色、軸装の一幅で、縦137.0cm、横54.5cmの寸法を有しています。
この作品は、右からキリスト、釈迦、孔子の三者が並び立つ姿を描いています。この画題は、元来中国絵画に存在する「酢吸三聖」または「三酸」と呼ばれる故事に由来しています。この故事では、異なる宗教や思想の開祖である三者が酢を味わい、皆が等しく酸っぱさを感じたことから、真理は一つであるという普遍的な思想が表現されていました。
伝統的な「酢吸三聖」では、釈迦、孔子に加えて道教の始祖である老子が描かれることが通例でした。しかし、観山は老子をキリストに置き換えることで、キリスト教、仏教、儒教という、当時の日本に大きな影響を与えていた東西の主要な思想の開祖たちを並置しました。これは、西洋文化が急速に流入した明治時代において、異なる文化や思想の出会い、あるいはそれらの融合に対する関心を反映していると推測されます。
「三聖之図」は絹に彩色を施し、軸装に仕立てられた日本画です。下村観山は、幼少期から狩野芳崖や橋本雅邦に師事し、狩野派の伝統的な筆法や画面構成を習得しました。その後、東京美術学校(現在の東京藝術大学)で第一期生として学び、大和絵の優雅で流麗な線描や、穏やかな色彩表現も探求しました。
1903年(明治36年)に文部省留学生としてヨーロッパへ渡った経験も、観山の画風に影響を与えました。彼は現地で西洋絵画の色彩感覚を学び、油彩画を水彩で模写するなど、緻密な構成力と色彩感覚を自身の日本画に取り入れたとされています。これらの幅広い研鑽が、「三聖之図」における人物表現や色彩の調和に生かされていると考えられます。
下村観山は、明治から昭和初期にかけて活躍した日本画壇の第一人者の一人です。東京美術学校の創設に貢献し、岡倉天心、横山大観、菱田春草らとともに日本美術院の創設にも参加しました。彼は古典的な素養を基礎としつつも、新しい表現に挑戦し続けた画家として知られています。
「三聖之図」は、明治期の日本が直面した異文化との交流という時代背景を象徴する作品として、観山の思想性と、東西の絵画技法を融合しようとする姿勢を示すものとして評価されています。この作品に見られるような普遍的な真理の探求や異文化理解のテーマは、下村観山の深い教養と、近代日本画が目指した新たな方向性を示す一例と言えるでしょう。