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日・月蓬萊山図(右幅)

下村観山

下村観山 《日・月蓬萊山図(右幅)》

本作品は、1900年(明治33年)に下村観山と横山大観が共同で制作した双幅の絵画であり、下村観山が右幅の「日の出」を、横山大観が左幅の「月の出」を描き分けました。同年4月に開催された第8回日本絵画協会・第3回日本美術院連合絵画共進会に出品され、観山はこの作品で銀牌・二席を受賞しています。

制作背景と意図 この作品の主題である蓬莱山は、中国の神仙思想に基づく伝説上の霊山であり、仙人が住み不老不死の薬があるとされる理想郷を指し、古くから吉祥画題として描かれてきた伝統的なモチーフです。 日本美術院の創設者である岡倉天心は、蓬莱山のような伝統的な画題においてこそ、新しい表現、すなわち「新意」を発揮することを求めていました。 本作は、このような天心の思想を背景に、極めて東洋的な伝統画題を、当時の日本美術院が追求していた新しい画風である「朦朧体」によって再解釈し、表現するという意図を持って制作されました。

技法と素材 本作は絹本墨画淡彩で描かれ、各縦98.0cm、横154.0cmという近代日本画の掛幅としては異例の大型作品です。 最大の特徴は、当時の日本美術院が推進した「朦朧体」と呼ばれる技法が用いられている点です。 これは、従来の日本画の明確な線描を排し、空刷毛による面的な彩色で光や大気、空間を表現する画法です。 観山の右幅では、樹叢に羽を休める鶴がさりげなく配され、吉祥のイメージを直接的に押し出すのではなく、抑制された表現によって静謐な画面が構成されています。 蓬莱山は一般的な俯瞰視点ではなく、ほぼ水平の視点から大きく描き出されており、これにより雄大な趣と山の現実感、実在感が強調されています。

作品の持つ意味 観山が描いた右幅の「日の出」は、蓬莱山が持つ吉祥性や霊性を象徴しています。 朦朧体の特質である曖昧さや茫漠とした描写は、神仙世界の超俗性や、人知では捉えがたい霊性を暗示する効果を生み出しています。 この作品は、伝統的な蓬莱山図が持つ吉祥のイメージを維持しつつ、そこに現実感と霊性を融合させることで、これまでにない新しい蓬莱山図を提示したと評価されています。 主題と描法が見事に調和し、当時の日本美術院が目指した日本画の近代化における成功例の一つと言えるでしょう。

評価と影響 「日・月蓬萊山図」は、その発表時に「朦朧体」という言葉が初めて展覧会評で用いられた作品として知られています。 当時の批評家からは、その没線描法が「朦朧体」として時に厳しい批判を受け、「気味の悪い山」と評されることもありました。 しかし、この作品は日本画の新しい表現を模索する初期日本美術院にとって重要な試みであり、観山は横山大観、菱田春草らと共に近代日本画の確立に大きく寄与しました。 観山の卓越した技法と徹底した古典研究に裏打ちされた穏健な画風は、今村紫紅や安田靫彦、小林古径といった日本美術院の第二世代の画家たちに大きな影響を与え、その後の日本画壇の発展に貢献しました。