オーディオガイド トップに戻る
0:00
0:00

クロード・モネ、ジヴェルニーの庭にて (Claude Monet in the Garden at Giverny)

サッシャ・ギトリ (Sacha GUITRY)

サッシャ・ギトリ作 「クロード・モネ、ジヴェルニーの庭にて」 作品紹介

このたび開催される「モネ没後100年 クロード・モネ ー風景への問いかけ」展にて展示されるサッシャ・ギトリの「クロード・モネ、ジヴェルニーの庭にて」は、印象派の巨匠クロード・モネの晩年、制作の真髄に迫る貴重な写真作品です。1915年に撮影されたこのゼラチン・シルバー・プリントは、38.4 × 29.5cmというサイズで、モネが愛したジヴェルニーの庭で筆を執る姿を捉えています。

制作背景と意図

本作は、フランスの俳優、劇作家、映画監督であるサッシャ・ギトリが1915年に制作したサイレント・ドキュメンタリー映画『我らの人々(Ceux de chez nous)』の一部として生み出されました。第一次世界大戦の最中、ドイツの知識人による文化宣言に対抗し、フランスの文化的な優位性を示す目的で、ギトリはフランスを代表する芸術家や作家たちの姿を映像に収めようとしました。彼は、オーギュスト・ロダンやエドガー・ドガ、ピエール=オーギュスト・ルノワールといった当時の著名な芸術家たちを「彼らの家で、仕事をしている姿」として記録し、未来の世代へと伝承することを目指しました。ギトリとモネは、批評家オクターヴ・ミルボーを介して友情を築き、ギトリは定期的にジヴェルニーのモネの自宅に招かれていました。

撮影された1915年、モネは74歳でした。この頃、彼は最愛の妻アリス(1911年)と長男ジャン(1914年)を失い、自身も白内障に苦しむという困難な時期にありました。しかし、そうした個人的な苦難にもかかわらず、モネはジヴェルニーの自宅兼アトリエで、代表作である「睡蓮」の連作に精力的に取り組んでいました。第一次世界大戦の状況も彼を深く憂慮させ、彼の義理の息子たちも戦場に出ていました。

技法と素材

作品は「ゼラチン・シルバー・プリント」という写真技法によって制作されています。これは、工業的に生産されたゼラチン銀乳剤を塗布した印画紙を用いる、19世紀後半から20世紀にかけて広く普及したモノクロ写真の現像方法です。 露光後、現像処理によって画像が形成され、その豊かな階調と耐久性により、今日の写真作品においても高く評価されています。

作品が持つ意味

この写真は、単なるモネの肖像に留まらず、彼が芸術家として最も充実していた晩年の制作現場を記録した、極めて重要な資料的価値を持っています。モネが43年間(1883年から)住まい、最大のインスピレーション源としたジヴェルニーの庭で、彼が実際に絵筆を動かす姿は、作品への深い没入と、自然への愛情を物語っています。

また、ギトリの映画『我らの人々』の一環として、本作は、スタジオでの演技ではなく、芸術家が「ありのままの環境」で創作活動を行う様子を捉えた、初期の「芸術家ドキュメンタリー」としての意味合いも持ちます。 映画からの写真であるため、従来の静的な肖像写真とは異なり、動いているモネ、微笑むモネ、あるいは葉巻をくわえて描くモネという、より人間味あふれる、生き生きとした巨匠の姿を後世に伝えています。

評価と影響

サッシャ・ギトリによるこの映像とそこから派生した写真は、モネの制作過程を捉えた数少ない動く記録として、芸術史および写真史において非常に高い評価を受けています。 この作品は、モネがジヴェルニーの庭、特に睡蓮の池とどれほど深く向き合っていたかを示す視覚的な証拠となり、後にオランジュリー美術館に収められる大装飾画「睡蓮」の連作制作への彼の情熱と取り組みを理解する上で不可欠なものとなっています。 さらに、第一次世界大戦中にフランス文化の誇りを示すという当時の愛国的な文脈においても、重要な役割を果たしました。