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東海道五拾三次之内 由井薩埵嶺 (Fifty-three Stations on the Tokaido: Yui, Satta Pass)

歌川広重 (UTAGAWA Hiroshige)

「モネ没後100年 クロード・モネ ー風景への問いかけ」展に際し、歌川広重の傑作「東海道五拾三次之内 由井薩埵嶺」をご紹介します。この作品は、江戸時代後期の風景版画の発展において重要な位置を占め、国内外で高い評価を受けてきました。

制作の背景と意図

本作品「東海道五拾三次之内 由井薩埵嶺」は、歌川広重が天保4年頃(1833年頃)から制作を開始した「保永堂版 東海道五拾三次之内」シリーズの一枚です。当時、葛飾北斎の「冨嶽三十六景」が人気を博し、浮世絵における風景画が流行の兆しを見せていました。広重はこうした時代の流れを受け、風景版画の分野に本格的に進出しました。本シリーズの制作意図は、江戸と京都を結ぶ主要街道である東海道の宿場町と、そこに広がる日本の豊かな自然、人々の営みを抒情豊かに描き出すことにありました。旅への憧れを抱く当時の庶民に向けて、各宿場の名所や風物、さらには四季や天候の変化までも表現することで、旅情を喚起することを目指したとされています。広重自身が幕府の行列に随行して東海道を旅した経験が、作品の写実性と情緒に深く影響していると考えられています。

技法と素材

「東海道五拾三次之内 由井薩埵嶺」は、浮世絵の主流である木版画、中でも多色摺りの「錦絵」として制作されました。 サイズは横大判(約24.5 x 37.1cm)であり、当時の浮世絵版画の標準的な形式の一つです。紙に木版を用いて複数の色を摺り重ねることで、豊かな色彩と繊細な表現を実現しています。制作にあたっては、厳選された素材と道具が使用され、木版画本来の美しさが最大限に引き出されました。

作品が持つ意味

本作品に描かれているのは、現在の静岡県静岡市清水区に位置する、東海道の難所として知られた薩埵峠(さったとうげ)です。 薩埵峠は、一方が切り立った山、もう一方が大海原に面する景勝地であり、「東海道の親不知」とも呼ばれるほどの険しい地形でした。しかし、その峠からの眺めは「五拾三次中最も美しい」と称され、遠景には雄大な富士山と青い駿河湾、白い帆を張った船が描かれています。

画面の構図は、手前に切り立つ断崖の上の細い道を行き交う旅人や村人を配し、その背後に広大な駿河湾と富士山を望むという、ダイナミックな対比が特徴です。旅人が身を乗り出して絶景を眺める様子は微笑ましく、荒々しい岩肌の山道と広々とした穏やかな海面の対比が、画面に奥行きと立体感を与えています。 また、海上に浮かぶ船の四角い帆は、画面全体に一定のリズムをもたらしています。 広重は、富士山の右肩に見えるはずの宝永大噴火による火口をあえて描かず、なだらかな美しい富士の姿を描写しており、理想化された日本の風景美を追求したことがうかがえます。 薩埵峠の海岸沿いの道は、かつては荒波にさらされる危険な道でしたが、現在の海岸線は安政の大地震による地盤隆起の結果形成されたと伝えられています。

与えた評価と影響

「東海道五拾三次之内」は広重の出世作として大成功を収め、彼を風景画家としての不動の地位に押し上げました。 その詩情豊かな風景描写と、霧、雪、雨といった自然現象の巧みな表現、そして旅人の心の機微までをも描き出す抒情性は高く評価されました。

本シリーズを含む歌川広重の浮世絵は、19世紀後半にヨーロッパで巻き起こった「ジャポニスム」の熱狂の中で、西洋の芸術家たちに多大な影響を与えました。広重の作品に見られる抒情的な風景描写、大胆な構図、高い視点からの俯瞰図、そして季節感あふれる鮮やかな色彩は、クロード・モネやフィンセント・ファン・ゴッホといった印象派の画家たちを深く魅了しました。 ゴッホは広重の作品を実際に模写し、その構図や色彩表現を自身の絵画に取り入れています。 モネも広重を好んだ画家の一人であり、自宅の庭に日本風の太鼓橋を造るなど、日本美術に傾倒していました。彼の代表作である「睡蓮」の連作にも、広重の作品からの影響が見られるとされています。 浮世絵は、西洋の伝統的な遠近法にとらわれない平面的なデザイン性や、大胆なトリミング、クローズアップといった構図表現により、西洋絵画に新たな視覚体験と美意識をもたらし、その後の芸術表現に大きな足跡を残しました。