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六十余州名所図会 薩摩 坊ノ浦双剣石 (Pictures of Famous Places in the Sixty Odd Provinces: Satsuma Province, Bonoura Bay, The Two-sword Rocks)

歌川広重 (UTAGAWA Hiroshige)

歌川広重作「六十余州名所図会 薩摩 坊ノ浦双剣石」

この作品は、江戸時代後期の浮世絵師、歌川広重(うたがわひろしげ)による錦絵「六十余州名所図会(ろくじゅうよしゅうめいしょずえ)」シリーズの一図、「薩摩 坊ノ浦双剣石(さつま ぼうのうらそうけんせき)」です。安政3年(1856年)に制作された広重晩年の作品であり、日本の各地の景勝地を巡る旅情を伝える浮世絵として、今日まで高い評価を受けています。

制作の背景と意図

歌川広重は、寛政9年(1797年)に生まれ、若くして浮世絵師歌川豊広(とよひろ)に師事しました。当初は美人画や役者絵も手掛けましたが、天保4年(1833年)頃に発表した「東海道五拾三次之内(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」シリーズで風景画家としての地位を確立しました。彼の作品は、当時の庶民が憧れた旅の風景や、移りゆく四季の情景を詩情豊かに表現しています。

「六十余州名所図会」シリーズは、嘉永6年(1853年)から安政3年(1856年)にかけて制作され、日本の律令制における68の国々と江戸の浅草市を加えた全69図、そして目録1図から構成される大判縦絵の連作です。 当時の旅行ブームを背景に、日本全国の名所を錦絵で紹介するという企画で、人々に故郷や旅先の情景を追体験させる役割を果たしました。 「薩摩 坊ノ浦双剣石」は、薩摩国(現在の鹿児島県南さつま市坊津町)の坊ノ浦にそびえる奇岩「双剣石」を描いたもので、安政3年(1856年)5月に刊行されています。 広重はこの奇岩の荘厳な姿に感銘を受け、画題としたと伝えられています。 構図の参考には、淵上旭江(ふちがみきょっこう)の「山水奇観」のような先行する名所図が用いられたと考えられています。

技法と素材

この作品は、多色摺り木版画である「錦絵」の技法を用いて制作されています。錦絵は江戸時代中期に確立され、それまでの単色摺りの版画とは一線を画す、華やかな色彩表現を可能にしました。

錦絵の制作は、絵師、彫師、摺師(すりし)、そして全体の企画・販売を行う版元(はんもと)という複数の専門家による分業体制で行われました。 絵師である広重が描いた原画(下絵)をもとに、彫師が版木に繊細な線や面を彫り、摺師が和紙に顔料を摺り重ねていきました。 摺師は、バレン(馬楝)による力加減や絵の具の濃淡を調整することで、ぼかし(色の階調表現)などの高度な表現を可能にしました。

広重の作品は、特に「ヒロシゲブルー」と称される深い藍色、ベロ藍(プルシアンブルー)の美しさで知られています。 この当時ヨーロッパから輸入された顔料は、広々とした空や海を描写する際に多用され、作品に鮮やかさと奥行きを与えています。

作品の意味

「薩摩 坊ノ浦双剣石」は、鹿児島県南さつま市の坊津町沖合に位置する、高さ27メートルの「大太刀(おおだち)」と21メートルの「小太刀(こだち)」と呼ばれる二つの剣状の岩が、まるで対峙しているかのようにそびえ立つ景観を描いています。 作品では、水平線が画面を大きく横切り、その中央に双剣石が配されることで、岩の雄大さと周囲の景色の広がりが強調されています。

坊津は、奈良時代には遣唐使船の寄港地となり、江戸時代には薩摩藩の密貿易の拠点となるなど、歴史的にも重要な港でした。 この作品は単なる風景描写に留まらず、こうした地域の歴史や文化、そして自然の雄大さを当時の人々に伝える役割を担っていました。

評価と影響

歌川広重は、葛飾北斎(かつしかほくさい)と並び、浮世絵風景画の確立者として、日本の美術史に大きな足跡を残しました。 「六十余州名所図会」シリーズを含む彼の作品は、江戸時代にベストセラーとなるほどの人気を博し、多くの人々に親しまれました。

広重の浮世絵は、19世紀後半に欧米へ渡り、その斬新な構図、遠近法の巧みな使用、そして鮮やかな色彩は、西洋美術に多大な影響を与えました。 特に、印象派や後期印象派の画家たち、例えばフィンセント・ファン・ゴッホやクロード・モネらは、彼の作品からインスピレーションを受け、ジャポニスム(日本趣味)として知られる芸術運動の一因となりました。 ファン・ゴッホは、広重の「名所江戸百景」の作品を模写したことでも知られています。

「薩摩 坊ノ浦双剣石」は、広重の風景版画における集大成の一つである「六十余州名所図会」シリーズに属し、その芸術性と歴史的価値は今日においても高く評価されています。また、江戸時代の人々の生活や文化、そして日本の自然景観を伝える貴重な資料としても重要な意味を持っています。