クロード・モネ (Claude MONET)
「モネ没後100年 クロード・モネ ー風景への問いかけ」展にて紹介されるクロード・モネの作品『嵐、ベリールの海岸』は、1886年に制作された油彩・カンヴァスの作品で、その寸法は65.4 × 81.5cmです。本作品は、モネが印象派の確立後、新たな表現の境地を求めて挑んだ時期の重要な作品として位置づけられます。
モネは1886年9月から11月にかけて、フランス西部ブルターニュ地方沿岸の島、ベリールに滞在しました。この地への訪問は、都市の近代化を嫌い、人為的な手が加えられていない「生のままの自然」を追求するモネの強い願望を反映したものです。ベリールは、彼がこれまで主に描いてきた穏やかなノルマンディー地方の風光明媚な海岸風景とは対照的に、荒々しい岩と常に変化する激しい海を特徴とする未開の地でした。モネは、この「荒々しい野生の国」の「信じ難い色の海」や「不気味な岩」に大いに興奮しつつも、これまでの自らの制作ルーティンとは異なる対象を描くことの困難さを感じ、手紙の中で「この暗く、怖ろしい風景を描くには、自らを奮い立たせなければならない」と記しています。このベリールでの経験、特に変化の激しい天候のもとで同じ場所の景色を繰り返し描いたことは、後にモネが本格的に取り組むことになる連作の制作へと繋がる重要な転換点であったと指摘されています。
本作は油彩・カンヴァスによって描かれています。モネは印象派の主要な画家として、戸外での制作を重視し、瞬間ごとに移り変わる光や色彩をキャンバスに捉えることを試みました。『嵐、ベリールの海岸』においても、粗い筆致が用いられ、荒れる海がダイナミックに表現されています。対象が固有の色を持つという考えを否定し、自然光によって変化する色を目に映るままに表現する「筆触分割」や「視覚混合」といった印象派の技法が効果的に使われています。また、海を見下ろす構図や、水平線を高く設定して空の描写をほとんど設けない画面構成は、日本の浮世絵、特に葛飾北斎や歌川広重の作品から影響を受けた「ジャポニスム」の要素が指摘されています。
『嵐、ベリールの海岸』は、モネの従来の「明るい自然風景を描く画家」というイメージとは異なり、悪天候の暗く陰鬱な海の情景を描いています。この作品は、モネが文明化されていない「生のままの自然」と対峙し、人も寄せ付けない厳しく激しい海を日々描き続ける中で生まれたものです。荒々しい筆致と色彩によって、嵐の中の荒れる海、砕ける波、そして風雨にさらされた空気感や大気の振動が鮮烈に表現されています。モネ自身が自身を「太陽の男」と評しながらも、この評価に甘んじてはならないと記したように、本作は画家が新たな表現領域へと挑戦し、自己と向き合った深遠な意味合いを持つ作品と言えるでしょう。
ベリールで制作された一連の作品群は、1887年に発表されると大きな反響を呼びました。特に、美術批評家ギュスターヴ・ジェフロワは、1887年の展覧会評や後のモノグラフにおいて、モネのベリール作品に対する世間の評価を高めることに貢献しました。このベリールでの制作経験は、モネが後に「積みわら」や「ルーアン大聖堂」といった同一モチーフを異なる光や時間の下で複数描く連作に本格的に取り組むきっかけとなったとされています。『嵐、ベリールの海岸』を含むベリールでの作品群は、モネの画業における転換点を示し、その後の連作という独自の手法を確立する上で不可欠なものとなりました。