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モナ・ハトゥム

テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アートより
モナ・ハトゥム作 《家》(1999年)

本稿では、「テート美術館 ― YBA & BEYOND 世界を変えた90s英国アート」展に出品される、モナ・ハトゥムのインスタレーション作品《家》(1999年)についてご紹介します。

背景と制作意図 モナ・ハトゥムは、1952年にパレスチナ人の両親のもと、レバノンの首都ベイルートに生まれました。1975年、イギリス滞在中にレバノンで内戦が勃発したことにより帰国できなくなり、以降ロンドンを拠点に活動する亡命者となりました。この経験は、彼女の作品に深く影響を与え、故郷喪失、亡命、政治的抑圧、ジェンダー問題、そしてアイデンティティの不安定さといったテーマを探求する原点となっています。

作品《家》は、家庭環境が健康的で安全、そして育みのある空間であるという従来の概念を打ち破る意図で制作されました。ハトゥムは「家」「家族」、そしてそこから期待される「育み」といった概念に対し、常に曖昧な関係性を抱いており、これらの期待に反する物理的または心理的な撹乱を作品にもたらすことをしばしば試みています。 彼女自身、キッチン用品を異質なものと捉えており、女性が結婚の準備の一環として料理の技術を教えられる文化で育ったことに反感を抱いていたため、この作品は「心地よさよりも敵意をはらんでいる」と語っています。

技法と素材 作品《家》(1999年)は、長さ600cm、幅350cmの空間に展開されるインスタレーションです。長い木製のテーブルの上に、調理用具(水切りかご、泡だて器、チーズおろし器など)が無造作に配置され、これらが露出した電線によって接続されています。 生きた電流が電線の中を流れ、ジリジリ、シューシューという音を立て、それがスピーカーによって増幅されます。 チーズおろし器やふるいといった道具の中には電球が置かれ、電流が通るたびに不気味に明滅します。 これらの光の周波数と強度はソフトウェアプログラムによって制御されています。 展示においては、この危険性のあるインスタレーションから鑑賞者を隔てるため、ぴんと張られた鋼鉄のワイヤーのバリケードが設置されることがあります。

意味するもの 《家》は、家庭を安全で育みのある女性の領域と捉える伝統的な概念を覆します。 代わりに、本来育みと結びつけられるはずの台所を、危険で、脅威に満ちた、不穏な空間、まるで「死の罠」のように提示します。

日常的で見慣れた物品に電流を通すことで、ハトゥムは「不気味な」(uncanny)効果を生み出し、鑑賞者に慣れ親しんだものが奇妙で恐ろしいものに変容する感覚を与えます。 これは、家庭環境における安全や日常性の認識に挑戦するものです。

むき出しの電線と潜在的な危険性は、脆弱性のテーマと、一見無害に見える空間にも潜む脅威を浮き彫りにします。 また、女性の領域とされてきた台所用品を再文脈化し、それを脅威的なオブジェへと変貌させることで、従来のジェンダーロールや、家庭内で女性に課される期待についても問いかけます。

評価と影響 この作品は、日常の破壊的な側面と、台所という場所が持つ安全性のイメージとの乖離により、鑑賞者に本能的な恐怖と衝撃を与えます。 単なる恐ろしさだけでなく、作者の不安や疎外感が作品に人間性をもたらし、衝撃的でありながらも鑑賞者が作品を評価することを可能にしています。

本作品は、「テート美術館 ― YBA & BEYOND」展において、1980年代後半から2000年代初頭にかけての英国美術、特に「ヤング・ブリティッシュ・アーティスト(YBA)」とその同世代の作家たちが、既存の美術の枠組みを問い直し、大衆文化や個人的な物語、社会構造の変化などをテーマとした革新的な試みを紹介する中で展示されます。 ハトゥムの作品は厳密にはYBAに分類されませんが、その既成概念に挑戦し、社会問題に取り組む精神は、この展覧会の趣旨と深く共鳴しています。 展覧会の第5章「家という個人的空間」において、台所を不穏な領域へと変容させる必見の作品として紹介されています。

ハトゥムは、ミニマリズムの幾何学的形態に物語性や政治的要素を織り込んだコンセプチュアルな作品で国際的に評価されています。 彼女の作品は、変動する国境、抑圧、そして現代を生きることの複雑さといった、今日の国際情勢における中心的な課題を探求し続けており、グローバルな移住や政治的不安定な時代において特に示唆に富むものです。