葛飾北斎
この度ご紹介するのは、稀代の浮世絵師・葛飾北斎が手掛けた名作「冨嶽三十六景」シリーズより、「駿州大野新田」です。本作品は、2024年に国立西洋美術館へ寄託された井内コレクションによって展示され、北斎芸術の奥深さを伝えています。
「冨嶽三十六景」は、天保元年(1830年)から天保3年(1832年)頃にかけて、北斎が70歳代前半の円熟期に制作されました。 当初は36図の予定でしたが、その絶大な人気から「裏富士」と呼ばれる10図が追加され、全46図で構成される大シリーズとなりました。 本作「駿州大野新田」は、この追加された「裏富士」の10図の一つに位置づけられます。
制作の背景には、当時盛んであった富士山を信仰する「富士講」ブームがあり、版元である西村永寿堂の企画によって生み出されました。 北斎は、富士山を題材に、場所、季節、気象条件によって刻々と変化するその表情を、類稀なる想像力と巧みな演出で描き分けています。 また、単なる風景画に留まらず、そこに暮らす庶民の営みや、働く人々の姿を生き生きと描き出すことにも注力されており、北斎の人間への深い共感が示されています。
「駿州大野新田」は、横大判の錦絵(多色摺り木版画)として制作されました。 浮世絵の制作は、絵師、彫師、摺師、そして版元の分業体制によって成り立っており、それぞれの専門職人が高度な技術を駆使しました。
「裏富士」に属する本作は、それまでの36図で主版(輪郭線)に藍色を用いていたのに対し、墨を用いる点が特徴です。 主要な色彩には、当時新しく輸入された化学顔料である「ベロ藍」(プルシアンブルー)が多用されています。 このベロ藍によるぼかし技法は、画面に清々しい効果をもたらしています。 摺師は、馬楝(ばれん)を用いて顔料の濃淡を調整し、繊細なぼかしや、顔料を使わずに凹凸を表現する空摺(からずり)など、多様な技法を駆使して豊かな表現を生み出しました。 版木には堅い山桜の古木が用いられ、和紙には越前奉書和紙が使用されたと伝えられています。
本作品に描かれている「駿州大野新田」は、現在の静岡県富士市大野新田にあたる地域です。 かつては葦の生い茂る沼沢地を干拓してできた新田集落であり、沼が多く白鷺などの水鳥も多く見られた場所でした。
画面には、少し高めの視点から、刈り取られた大量の葦を牛に載せて家路につく農夫たちの日常の光景が描かれています。 東の空が赤く染まる早朝の時間帯と推測され、藍と緑の淡いぼかしが清々しい朝の雰囲気を醸し出しています。 ゆったりと歩む牛の列と農婦たちの姿は、労働後の穏やかな時間を楽しんでいるかのようです。 近景の牛の背に積まれた葦の束が富士山の稜線と相似する構図は、北斎ならではの趣向です。 また、奥に広がる富士沼には、牛の列に驚いて飛び立つ数羽の白鷺が描かれ、近景と遠景の空間をさりげなく結びつけています。 全体として、雄大で凛とした富士山を背景に、人々のつつましい日常がユーモラスかつ丁寧に捉えられています。
「冨嶽三十六景」シリーズは、発表当時から絶大な人気を博し、それまで美人画や役者絵が主流であった浮世絵界に、風景画という新たなジャンルを確立する画期的な作品となりました。 本シリーズは北斎芸術の集大成と位置づけられ、その斬新な構図、鮮やかな色彩、そして生き生きとした描写は、国内外で高く評価されています。
特に19世紀後半にヨーロッパで起こったジャポニスムにおいては、北斎の浮世絵がモネ、ドガ、ゴッホといった印象派の画家たちをはじめ、多くの西洋芸術家に大きな影響を与えました。 構図や色彩、モチーフの扱い方など、西洋美術の伝統にはない表現は、当時の画家たちに新鮮な驚きとインスピレーションをもたらしました。 葛飾北斎は、1999年にアメリカの雑誌『ライフ』が選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に日本人で唯一選出されるなど、世界的に非常に高い評価を受けています。 本展示会は、2024年に国立西洋美術館に寄託された井内コレクションの「冨嶽三十六景」全46図を初めて一挙公開するものであり、一部の作品は江戸時代の人々が版画を手に取って鑑賞したように、表裏両面から鑑賞できる展示方法も採用される予定です。 これは、北斎の作品が持つ多角的な魅力と、当時の鑑賞体験を現代に伝える貴重な機会となるでしょう。