葛飾北斎
葛飾北斎が手掛けた名作「冨嶽三十六景」の中から、今回は「御厩川岸より両國橋夕陽見」をご紹介します。この作品は、天保初期、葛飾北斎が72歳頃に発表したとされる「冨嶽三十六景」シリーズ全46図の中の一図であり、特に隅田川を題材とした三部作の一つとして知られています。
「冨嶽三十六景」シリーズは、江戸時代に盛んであった富士山を拝んで心願成就を願う「富士講」という民間信仰ブームを背景に、版元である西村永寿堂の依頼によって制作が始まりました。当初36図の予定でしたが、その人気から追加で10図が制作され、計46図となりました。北斎は、富士山を様々な場所や角度から、類稀な想像力と演出の妙をもって描き分け、そこに庶民の生き生きとした日常の風景を重ね合わせることを意図しました。この「御厩川岸より両國橋夕陽見」もまた、江戸の人々の生活と霊峰富士との繋がりを表現する作品群の一つです。
この作品は、多色摺り木版画である錦絵(にしきえ)の技法を用いて制作されました。浮世絵の制作は、絵師、彫師、摺師、そして版元という分業体制で行われました。まず、北斎が下絵となる版下絵を描き、次に彫師がこの版下絵を元に輪郭線となる主版(墨版)と、色ごとに分けられた色版を桜などの硬い木に彫り出します。そして摺師が、これらの版木を用いて和紙に色を重ねていきます。多色摺りにおいては、紙を置く位置を正確に合わせる「見当(けんとう)」という仕組みが不可欠でした。
色彩においては、当時新しく輸入された化学顔料である「ベロ藍」(プルシアンブルー)が特徴的に用いられています。この鮮やかで透明感のある青色は「北斎ブルー」と呼ばれ、従来の浮世絵にはなかった深みと広がりを画面にもたらしました。また、西洋画の遠近法や、藍の濃淡による陰影法なども取り入れられています。本作では、夕暮れの空の表現として、初摺りでは墨による「天ぼかし」を用いて徐々に薄暗くなる情景を表し、後摺りでは赤色を用いて夕景を表現した版も確認されています。両国橋の欄干に集う人々は、主線からわずかにずらした薄茶色の線によってシルエットのように表現されており、夕闇に溶け込む情景を巧みに演出しています。
「御厩川岸より両國橋夕陽見」は、「冨嶽三十六景」の中でも特に叙情的な作品と評されています。現在の台東区蔵前付近にあった御厩川岸から、隅田川を挟んで遠く両国橋と富士山を望む構図で、渡し船が対岸の浅草方面へと向かう刹那が描かれています。船上の人々や遠景の両国橋、川沿いの街並み、そして富士山が、夕暮れの空の中で群青色のシルエットとなって浮かび上がります。遠景の描写では輪郭線が控えられ、まるで影絵のような幻想的な雰囲気を醸し出しています。作品全体に漂う静かで柔らかな印象は、北斎の他の力強い作品とは一線を画し、見る者に物憂げな詩情を抱かせます。船やその乗客の視線がさりげなく富士へと向けられることで、鑑賞者の意識もまた、夕陽に染まる富士へと誘われます。
「冨嶽三十六景」は発表当時から江戸で絶大な人気を博し、風景画というジャンルを浮世絵の主要な地位に押し上げる画期的な作品となりました。そして、このシリーズは19世紀後半にヨーロッパで起こったジャポニスムの重要なきっかけの一つとなり、モネやゴッホといった印象派の画家たち、さらにはアール・ヌーヴォーの芸術家たちにも多大な影響を与えました。北斎の大胆な構図、遠近法にとらわれない自由な視点、そして日常風景を芸術へと昇華させる感性は、当時の西洋美術にはない革新的な表現として高く評価されました。葛飾北斎は、1999年にはアメリカの雑誌『ライフ』において「この1000年で最も偉大な功績を残した世界の人物100人」に唯一の日本人として選出されるなど、日本のみならず世界的に高く評価される芸術家であり、その代表作である「冨嶽三十六景」は、現在、日本のパスポートの査証ページにもデザインされています。