葛飾北斎
葛飾北斎が70歳代に制作した「冨嶽三十六景」は、江戸時代後期に生まれた浮世絵風景画の傑作シリーズです。その中の一図である「駿州江尻」(すんしゅうえじり)は、目に見えない「風」を主題に据え、自然の圧倒的な力とそれに抗う人々の営みを見事に描き出しています。
葛飾北斎は宝暦10年(1760年)に生まれ、嘉永2年(1849年)に90歳で没するまで、絵師として70年以上にわたり筆を握り続けました。生涯に約3万点もの膨大な作品を遺し、その画業は役者絵、美人画から風景画、絵手本、挿絵と多岐にわたります。 北斎が生きた江戸時代後期は、町人文化が成熟し、出版や芸能、美術が花開いた時代でした。
「冨嶽三十六景」シリーズは、北斎が72歳頃にあたる天保2年(1831年)頃から刊行が始まったとされています。 当時、富士山を拝んで心願を叶える「富士講」という民間信仰が盛んであり、この富士山ブームに着目した版元・西村永寿堂の依頼によって制作されました。 当初は36図で完結する予定でしたが、その人気から「裏富士」と呼ばれる10図が追加され、最終的には全46図となりました。 このシリーズは、それまで美人画や役者絵が主流であった浮世絵界において、風景画というジャンルを確立する画期的な作品となりました。
「駿州江尻」は、現在の静岡県静岡市清水区に位置する東海道の宿駅、江尻周辺の情景を描いたものです。 この作品における北斎の主な意図は、「風」という形のないものを視覚的に表現することにありました。強風に翻弄される旅人たちの様子と、その背景に泰然とそびえる富士山を対比させることで、自然の偉大さとその中で生きる人間の姿を描いています。 また、富士山と旅人たちが、強風にひるまず生きる「同じ姿」を描いているという解釈も存在します。
この作品は、江戸時代に発展した日本独自の木版画技法である「浮世絵版画」で制作されています。浮世絵版画は、絵師が原画を描き、彫師が版木を彫り、摺師が和紙に色を摺り重ねるという分業制によって支えられていました。 多色摺りの技術により、複雑で鮮やかな色彩表現が可能となり、一枚の絵を制作するのに数十枚もの版木が使われることもありました。 柔軟な山桜の板目木版と水性絵具、そして和紙を組み合わせることで、鮮やかな色彩が実現されています。
「冨嶽三十六景」の大きな特徴の一つは、当時ヨーロッパからもたらされ流行していた化学顔料「ベロ藍」(プルシャンブルー)を積極的に用いている点です。 この鮮やかな藍色は、北斎ブルーとも称され、作品に奥行きと広がりを与えています。
「駿州江尻」においては、画面を二分するかのように風になびく細い木々や、風に舞い上がる木の葉が描かれています。 人々は、懐紙が舞い上がる女性、笠を飛ばされて目で追う男性、あるいは笠を押さえて風に耐える旅人として描かれ、これらの具体的な描写を通じて、目に見えない強風の動きと勢いが臨場感たっぷりに表現されています。 対照的に、背景の富士山は輪郭線のみで描かれ、その静けさが動的な近景との見事なコントラストを生み出しています。 作品中央付近には、街道作品によく見られる庶民信仰の施設として祠が描かれ、その傍らには「姥が池」と呼ばれる池が見られます。
「駿州江尻」は、強風に苦しむ旅人たちの日常的な姿と、悠然とそびえる富士山の姿を描くことで、自然の偉大さと、その中で必死に生きる人間の姿を対比させています。 特に、形を持たない「風」という自然現象をこれほどまでに巧みに視覚化した点で、この作品は高く評価されています。 また、旅人たちが風に抗い、富士山が泰然と佇む様子から、両者がひるまず生きている「同じ姿」を北斎が描こうとしたという解釈もあります。
画面に描かれた「姥が池」には、古くから伝わる伝説が存在します。池の近くに住む金谷長者の子が病にかかった際、乳母が弁財天に祈願し、身代わりとなって池に入水したところ、子の病が回復したという物語です。これに感謝した長者が池のほとりに社を建て、池は「姥が池」と呼ばれるようになったと伝えられています。 このような庶民信仰の要素も、作品に深みを与えています。
葛飾北斎の「冨嶽三十六景」は、日本国内だけでなく、海外の芸術家にも絶大な影響を与えました。19世紀後半にヨーロッパで巻き起こった日本美術ブーム「ジャポニスム」の火付け役となり、ゴッホやモネといった印象派の画家たち、そして作曲家のドビュッシーなど、多くの芸術家に影響を与えました。 北斎の大胆な構図、遠近法にとらわれない視点、そして日常風景を芸術へと昇華させる感性は、当時の西洋美術にはない斬新な表現として高く評価されました。
「冨嶽三十六景」は、日本を代表する芸術作品として、2020年に刷新された日本国パスポートの査証ページのデザインにも採用されています。 特に「駿州江尻」における目に見えない風の表現は、後世の芸術家たちにも影響を与え、イギリスの写真家ジェフ・ウォールがこの作品から着想を得たとも言われています。 このように、葛飾北斎の「駿州江尻」は、単なる風景画の枠を超え、自然の力を描写する革新的な技法と、普遍的な人間の営みを描く深い洞察によって、今日まで多くの人々を魅了し続けています。