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猩々図

長沢蘆雪

「春の江戸絵画まつり 長沢蘆雪」展において展示される、長沢蘆雪の「猩々図」についてご紹介いたします。

長沢蘆雪「猩々図」

どのような背景・経緯・意図で作られたのか?

長沢蘆雪は、宝暦4年(1754年)に丹波篠山藩士の子として京都に生まれ、円山応挙の門下で写実的な画法を習得しました。しかし、師・応挙の温雅な画風とは一線を画し、大胆な構図や奇抜な着想、奔放で機知に富んだ独自の画風を確立し、「奇想の画家」と称されています。その作品は、見る者を驚かせ、楽しませることを意図していたと伝えられています。

本作品「猩々図」の主題である「猩々」は、中国の故事に由来する能の演目「猩々」に登場する、酒をこよなく愛する伝説上の生き物です。親孝行な高風という若者に尽きることのない酒を与え、舞い踊る姿が描かれ、長寿や富、尽きない幸福といった吉祥の意味合いを持つ画題として、江戸時代の日本画で盛んに描かれました。蘆雪は、このような伝統的な画題に対しても、彼ならではの解釈と表現を加え、祝祭的な意味合いを持つ作品として制作したと考えられます。

本作品には、江戸時代中期から後期の儒者である中井蕉園による賛(書かれた詩文)が添えられています。儒学者の賛が添えられることは、作品が持つ教訓的、あるいは精神的な意味合いを深める役割を果たしており、画家の意図と相まって、より一層の奥行きを与えています。

どのような技法や素材が使われているのか?

この「猩々図」は絹本着色(けんぽんちゃくしょく)の掛け軸として制作されています。 絹を支持体とし、墨と顔料を用いて描かれています。

蘆雪の画法は、師・応挙の写生に基づきながらも、それを独自の様式へと発展させたものです。彼独特の筆勢に任せた描き方は、しばしば輪郭線を用いずに直接対象を描く「付立(つけたて)」の技法や、素早い筆致で描く「早描き(はやがき)」として知られています。これにより、対象の躍動感や生命力を鮮やかに表現しました。 「猩々図」においても、酒に酔い、軽やかに舞い踊る猩々の姿が、勢いのある筆致と鮮やかな色彩で捉えられていることが想像されます。

また、蘆雪は30歳前後から「魚印(うおじるし)」という、氷の枠の中に魚を配した印章を好んで用いています。これは、修行の苦難を経てやがて自由に至るという禅語に由来すると伝えられており、彼の作品にはしばしばこの「魚印」が見られます。

どのような意味を持っているのか?

「猩々図」は、能の演目「猩々」の物語を基にしており、親孝行者の高風と、高風の徳を褒めて尽きない酒を与え、舞い踊る猩々の姿を描いています。この物語は、富と長寿、そして尽きることのない幸福を象徴し、非常に縁起の良い画題とされてきました。

長沢蘆雪の作品に見られる奇抜でユーモラスな表現は、見る者に親しみやすさと同時に、その祝祭的な意味合いを強く印象付けます。猩々の陶酔したような表情や、舞いの動きを大胆な筆遣いで捉えることで、生命力あふれる吉祥の象徴としての猩々が表現されていると考えられます。中井蕉園による賛は、この絵画に描かれた情景やテーマに対する解釈を深め、作品にさらなる文化的・思想的な意味合いを加えています。

どのような評価や影響を与えたのか?

長沢蘆雪は、同時代の伊藤若冲、曽我蕭白らとともに「奇想の画家」と評され、その独創的で型破りな作品は、当時の画壇に強いインパクトを与えました。彼の作品は、師・応挙の写実主義を基盤としつつも、それを大胆に逸脱し、見る者を驚かせ楽しませることに成功しました。

「猩々図」のような伝統的な画題においても、蘆雪は自身の個性を遺憾なく発揮しました。彼の描く猩々は、単なる伝説上の存在としてだけでなく、ユーモラスで人間味あふれるキャラクターとして表現されており、吉祥画としての枠を超えた魅力を放っています。本作品は個人蔵であるため、具体的な評価や影響に関する記録は限定的ですが、蘆雪が数多く手掛けた祝祭的な主題の作品群の一つとして、彼の画業を理解する上で重要な意味を持っています。彼の自由奔放な作風は、後の時代にも大きな影響を与え、日本絵画史において異彩を放つ存在として語り継がれています。