長沢蘆雪
本稿では、「春の江戸絵画まつり 長沢蘆雪」にて展示される、個人蔵の長沢蘆雪筆「鍾馗図」について紹介します。
「鍾馗図」に描かれる鍾馗(しょうき)は、主に中国の民間伝承に伝わる道教系の神です。その起源は、中国唐代の皇帝・玄宗の夢に由来するとされます。玄宗がマラリアの高熱に苦しむ中、夢に現れた大鬼が小鬼を退治しました。この大鬼は、科挙の試験に落第して自決したものの、高祖皇帝に手厚く葬られた恩に報いるため、天下の災いを除く誓いを立てた終南山出身の鍾馗であると告げたといいます。夢から覚めた玄宗は病が癒えていることに気づき、画家の呉道玄に鍾馗の絵姿を描かせたことが、鍾馗図の始まりとされています。以来、鍾馗の絵姿には邪気を払う効験があるという信仰が生まれ、日本には南北朝時代に禅宗文化とともに伝来しました。室町時代以降には礼拝の習慣が生まれ、特に江戸時代に入ると、男児の健やかな成長を願う端午の節句の飾りや、魔除けの象徴として広く流行し、強気ものの象徴として定着しました。
長沢蘆雪は、円山応挙の高弟でありながら、師の画風から大胆に逸脱し、奇抜で機知に富んだ独自の画風を確立した「奇想の絵師」として知られています。 蘆雪が「鍾馗図」を手がけた背景には、当時の魔除けや厄除けとしての鍾馗への信仰に加え、彼自身の卓越した画技と個性的な表現欲求があったと考えられます。彼の作品には、しばしば遊び心と技巧が共存し、見る者を驚かせ、心を動かすためのユーモアと誇張が見られます。
長沢蘆雪の「鍾馗図」の具体的な技法や素材に関する詳細な記述は少ないものの、彼の一般的な画風から推測することができます。蘆雪は奔放な水墨画から緻密な着色画まで幅広く手掛けました。 彼の人物画においては、流暢で柔らかな筆致を駆使し、墨の濃淡を生かした描写が特徴です。時に、顔には淡い朱色、衣の袖口などには青墨系の彩色を施すことで、簡潔ながらも対象を生き生きと描き出しました。 また、筆の速度や筆触の変化を利用することで、画面に装飾的な効果ももたらしています。
蘆雪は、生涯にわたり「魚」字の印章を用いました。この印章は、修行中の冬に氷に閉じ込められた魚が後に自由に泳ぎ回る姿を見たという逸話に由来し、「苦しい修行時代もやがて氷が溶けるように画の自由を得る」という信念を表しているとされます。 40歳頃の作品からはこの印章の右肩部分が欠失しており、これが芸術的な自由を獲得したことを意味するのではないかという解釈も存在します。
鍾馗は、悪鬼を退け、病を癒し、厄災から人々を守る神として信仰されてきました。 蘆雪の「鍾馗図」もまた、こうした魔除けや厄除け、あるいは立身出世や学業成就といった吉祥の意味合いを込めて描かれたと考えられます。蘆雪は、鍾馗の威厳ある姿を、彼の得意とする大胆な構図と表現力をもって描き出すことで、その象徴する意味を一層際立たせました。彼の描く鍾馗は、長い髭を蓄え、中国の官人の衣装をまとい、剣を携え、大きな眼で睨みつけるという伝統的な図像を踏襲しつつも、蘆雪独自の鋭い形態感覚とユーモラスな筆致によって、見る者に強い印象を与えるものとなっています。
長沢蘆雪の作品は、生前から高い人気を誇り、師である円山応挙とは対照的な、個性的で独創的な画風によって多くの門人の中でも異才を放ちました。 特に、天明6年(1786年)以降の南紀滞在で数多くの障壁画を手がけて以降、その画風は一層大胆かつ奔放なものへと変化しました。
蘆雪の作品は、大胆な構図、斬新なクローズアップ、そしてユーモアと迫力が共存する点が評価されています。 彼の絵画は、観察に基づいて対象を捉えつつも、奇抜な発想でそれを解き放つというハイブリッドな特性を持ち、墨の濃淡やにじみだけで空間を表現するスピード感のある画面、多視点を組み合わせたような構成など、現代の視覚文化にも通じる面白さがあるとして、近年その評価はますます高まっています。 一部の研究者やコレクターからは、「もっと長く生きていれば、若冲をも超え得た」と評されるほど、彼の才能は高く評価されています。 蘆雪の「鍾馗図」もまた、彼のそうした独創的な表現の一例として、江戸絵画における魔除けの図像に新たな解釈と魅力を与えた作品と言えるでしょう。