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関羽図

長沢蘆雪

府中市美術館で開催される企画展「春の江戸絵画まつり 長沢蘆雪」は、江戸時代中期の京都で活躍した絵師、長沢蘆雪の作品に焦点を当てた展覧会です。本展は、東京では64年ぶりとなる長沢蘆雪の大規模な展覧会であり、府中市美術館における「春の江戸絵画まつり」シリーズの締めくくりを飾ります。展覧会では、蘆雪の「奇想」と「かわいい」という二つの側面が紹介され、彼の多様な画業を概観する機会となります。

今回紹介する作品は、個人蔵の「関羽図」です。

長沢蘆雪について

長沢蘆雪(ながさわ ろせつ)は、宝暦4年(1754年)に丹波国篠山(現在の兵庫県篠山市)に生まれ、寛政11年(1799年)に46歳で亡くなった江戸時代の絵師です。彼は、円山応挙の高弟として知られ、師の写実的な画風を修得しつつも、そこにとどまらない独自の表現を追求しました。 自由奔放な性格であったと伝えられ、その画風もまた大胆な構図、斬新なクローズアップ、奇抜で機知に富んだ表現が特徴です。 伊藤若冲や曽我蕭白と共に「奇想の画家」と称されることも多く、型破りな発想とユーモアに溢れた作品を多く残しました。 特に天明6年(1786年)から翌年にかけての南紀滞在は、蘆雪の画風を大きく変える転機となり、その地で多くの傑作を制作しました。

作品「関羽図」の背景・経緯・意図

「関羽図」の主題である関羽は、中国三国時代の蜀漢の武将であり、『三国志演義』などで英雄として広く知られています。日本では、特に端午の節句において子どもの出世を願って飾られるなど、武勇の象徴として親しまれてきました。 芦雪は多くの武将図を手掛けていますが、関羽は彼の作品においても重要なモチーフの一つでした。

個人蔵の「関羽図」の具体的な制作経緯や意図は不明ですが、厳島神社が所蔵する蘆雪の「関羽図」(1794-97年頃制作)は、関羽の威厳と従者のとぼけた表情が対照的に描かれており、蘆雪ならではの奇知と妙味が垣間見られる作品として評価されています。 髭の美しさから「美髯公」と称された関羽の気高さや気品が繊細な筆致で表現される一方で、その背後に描かれる従者はどこかユーモラスな様子で、蘆雪の遊び心が感じられます。 このような表現は、見る者を驚かせ、笑わせ、感動させたいという蘆雪の制作意図に通じるものがあります。 彼の円熟期の作品として、意気軒昂で将来への希望に満ちた蘆雪自身の姿を想像させるものとも考えられています。

技法や素材

長沢蘆雪は、師である円山応挙から写実の技法を学び、卓越した描写力を身につけました。 しかし、彼は単に師の様式を踏襲するだけでなく、自身の独創的な着想と大胆な構図を融合させ、独自の画風を確立しました。 「関羽図」においては、絹本に着色という素材と技法が用いられていると考えられます。厳島神社所蔵の「関羽図」では、関羽の衣服や愛用の武器である青龍偃月刀に見られる緩急自在で端正な筆致が特徴とされており、芦雪が円山派の写実技法を完璧に習得した上で、独自のユーモアを加えて描いたことがうかがえます。

意味や評価・影響

長沢蘆雪の「関羽図」は、単なる歴史上の人物の肖像画にとどまらず、彼の持つ「奇想」の精神が色濃く反映された作品と言えます。威厳ある関羽と、対照的にユーモラスな従者の描写は、蘆雪作品に見られるリアリズムと滑稽さの融合を示しています。 このような表現は、当時の成熟した市民の遊び心を捉え、観る者に強い印象を与えました。

蘆雪は、応挙の弟子でありながら、その型を破り、自由で大胆な画風を確立したことで、日本画壇に大きな影響を与えました。 彼の作品は、従来の絵画の枠にとらわれない新しい価値観を提示し、後世の画家たちにも刺激を与えたと考えられます。特に、南紀での制作活動以降の作品に見られる奔放さは、彼の才能が完全に開花した証とされています。 晩年には陰鬱なテーマの作品も手掛けましたが、その生涯を通じて、見る者を魅了し、心動かす「奇才」としての評価を確立しています。 現代においても、その奇抜さとユーモア、そして根底にある観察眼と慈しみの精神は、多くの人々を惹きつけ続けています。