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水の精(ネッケン)

アーンシュト・ヨーセフソン

東京都美術館開館100周年記念「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展にて展示されている、アーンシュト・ヨーセフソンの作品「水の精(ネッケン)」をご紹介します。

作品名:水の精(ネッケン)

アーティスト名:アーンシュト・ヨーセフソン

制作年:1882年

素材・技法:油彩、カンヴァス

制作背景・経緯・意図

アーンシュト・ヨーセフソンは1851年、スウェーデンの裕福なユダヤ人家庭に生まれました。幼少期に父と姉を相次いで失うという悲劇を経験しています。16歳でストックホルム王立美術院に入学し、20歳の時には「スウェーデンのレンブラントになれなければ死んでやる」と決意するほど、画家としての強い志を持っていました。作品「水の精」は、彼が画家として評価を得始めた30代前半、1882年に制作されました。当時、スウェーデンの画壇では写実主義や自然主義が主流であり、主観的な表現はなかなか受け入れられない風潮がありました。しかし、ヨーセフソンはフランスで新しい芸術潮流に触れ、自身の感情や叙情的な雰囲気を重視する独自の表現方法を模索していました。

この作品の主題である「ネッケン」は、北欧神話に登場する水の精であり、その優れたヴァイオリンの演奏で人々を誘惑し、水中に引きずり込む恐ろしい存在として伝えられています。ヨーセフソンは、この水の精を単なる神話上の存在としてではなく、社会に依存せず自身の道を歩むロマン主義的な芸術家の「もう一つの自我」として捉えました。 彼はネッケンを、孤独で苦しみながらも、自身の芸術に陶酔し楽しむ画家自身の姿、つまり統制されない自由な人間の象徴であると考え、また若くして亡くなった姉への罪悪感や悲しみもこの作品に込めたとされています。

技法と素材

作品は油彩でカンヴァスに描かれています。画面には、月明かりの下、滝が流れる水の中で裸の若い男性がヴァイオリンを演奏する奇妙な光景が描かれています。 水は滝のように降り注ぎ、その音はヴァイオリンの音楽と混じり合います。水草が男性の頭と足の間を包み込み、白い花が背中や足をくすぐるように描かれています。若々しく健康的な体を持つ水の精は、目を閉じ、口を半開きにして、誰かを誘惑するというよりも、自身の音楽に深く没頭しているかのようです。

ヨーセフソンの作風は、写実主義から出発しつつも、後に象徴主義や表現主義の要素を取り入れ、深い感情を表現していきました。 パリでの滞在を通じて、光に満ちた明るい色彩を駆使する技法と感覚を習得し、印象派の画家たちにも呼応しながら、独自の瑞々しく洗練された描写を確立しました。

作品が持つ意味

「水の精(ネッケン)」は、北欧の民間伝承における水の精の姿を描きながらも、ヨーセフソン自身の内面世界を色濃く反映した作品です。ネッケンが持つ魅惑的でありながら危険な両義性は、芸術家の孤独な創造性と、社会から理解されない苦悩、そして自己の芸術への情熱と陶酔を象徴しています。 彼はこの水の精の姿を通して、自由で型にはまらない芸術家の精神を描き出そうとしました。当時の主流であった客観的な写実表現に対し、ヨーセフソンは個人的な感情や神話的なモチーフを通じて、目に見えない「より大きな現実」や「超越的な世界」を探求しようとした象徴主義的な試みであったと言えます。

評価と影響

この作品は、発表されるやいなや批評家から激しい非難を浴び、当時のスウェーデン国立美術館への展示を拒否されました。 これは、当時のスウェーデンの画壇で主流だった写実主義や自然主義とは異なる、主観的で象徴的な表現が受け入れられなかったためです。

しかし、ヨーセフソンはこのテーマに強く魅了され、後にいくつかの異なるバージョンも制作しています。 そして、作品が完成してから33年後の1915年、スウェーデン国立美術館は「水の精」の革新性と芸術性を認め、ようやく購入に至りました。 ヨーセフソンはその後、精神的な病を患い、その経験が彼の芸術スタイルに影響を与え、「病の芸術(sjukdomskonst)」とも称される、より奔放で個人的な表現へと繋がりました。 彼の作品は、その主題と様式における貢献だけでなく、個人的な困難が芸術的視点をいかに形成し変容させたかという点で、近代スウェーデン美術において重要な意味を持っています。

本作品が展示される東京都美術館開館100周年記念「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展は、19世紀末から20世紀にかけてのスウェーデン美術の黄金期を本格的に紹介するものであり、日本でスウェーデン絵画が本格的に紹介される貴重な機会となります。