アウグスト・マルムストゥルム
東京都美術館開館100周年記念「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展にて展示されるアウグスト・マルムストゥルムの作品「インゲボリの嘆き(エサイアス・テグネール『フリッティオフ物語』より)」について紹介します。
インゲボリの嘆き(エサイアス・テグネール『フリッティオフ物語』より)
アウグスト・マルムストゥルム
アウグスト・マルムストゥルム(1829-1901)は、スウェーデンの画家であり、自国の国民性や民話、北欧神話を描いた作品で知られています。彼はストックホルムのスウェーデン王立美術院で学び、後にパリでフランスの歴史画家トーマ・クチュールに師事しました。その後、スウェーデン王立美術院で教授を務め、晩年にはその運営も担いました。
本作品「インゲボリの嘆き」は、スウェーデンの詩人エサイアス・テグネールが1825年に発表した叙事詩「フリッティオフ物語」にインスピレーションを得て制作されました。この物語は、古代スカンディナヴィアを舞台に、勇士フリッティオフと国王ベーレの娘インゲボリの愛、復讐、名誉を巡る壮大な叙事詩です。
マルムストゥルムは「フリッティオフ物語」の挿絵を複数手掛けており、本作品は1888年に出版された新版のために描かれた油彩画の挿絵として制作されました。彼は以前にも同物語の挿絵を木版画で制作していますが、1888年版では油彩画をヘリオグラフィーという新しい複製技術で印刷したものが用いられ、当時の書籍挿絵の発展における画期的な出来事となりました。19世紀後半、ヨーロッパ各国でナショナリズムが高まる中、自国の神話や民間伝承を主題とすることが重視され、マルムストゥルムもゴート主義という国民的ロマン主義の影響を受け、北欧の伝説的な題材に深く傾倒しました。
本作品は、約1887年頃に制作され、油彩で描かれています。技法としては「紙をキャンバスに貼り付けた油彩(Oil on paper marouflage on canvas)」が用いられています。サイズは高さ99.4cm、幅69cmです。マルムストゥルムの作風は「精緻かつ写実的」であり、人物の「注意深く観察された身振りや生き生きとした表情」が特徴とされています。彼の作品は、写実主義や自然主義といったフランスの動向から離れ、自らの感情や叙情的な雰囲気を重視した、スウェーデン独自の表現方法を確立した時代のものとして位置づけられます。
作品のタイトルにあるインゲボリは、「フリッティオフ物語」の主要登場人物です。彼女はフリッティオフと深く愛し合いますが、兄たちにフリッティオフとの結婚を反対され、別の王と結婚させられます。しかし、彼女はフリッティオフへの愛を忘れることはありません。本作品は、物語におけるインゲボリの悲嘆、すなわちフリッティオフとの別離や満たされない愛からくる深い悲しみの瞬間を描写していると考えられます。マルムストゥルムの作品は、登場人物の内面的な感情や物語の情緒的な側面を深く捉え、鑑賞者に共感を呼び起こすよう意図されています。
アウグスト・マルムストゥルムが挿絵を手がけた1888年版「フリッティオフ物語」は、1880年代後半の書籍挿絵の画期的な時期を象徴するものとして評価されています。彼の作品は、故郷スウェーデンの自然、民間伝承、北欧神話といった題材を国民的な視点から描き出し、当時のスウェーデン美術の発展に貢献しました。
本作品は、現在開催中の東京都美術館開館100周年記念「スウェーデン絵画 北欧の光、日常のかがやき」展において、スウェーデン美術の「黄金期」をたどる重要な作品の一つとして紹介されています。この展覧会は、スウェーデン国外でも注目を集めるスウェーデン絵画の魅力を本格的に紹介するものであり、「インゲボリの嘆き」は、マルムストゥルムが文学作品から得たインスピレーションを絵画で表現し、北欧の叙情的な世界観を構築した彼の代表的な仕事の一例として、その芸術的価値と歴史的意義が再認識されています。