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神殿の舞(イオカステ) Jocasta

ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir

ピエール=オーギュスト・ルノワール作「神殿の舞(イオカステ)」にみる晩年の境地

本作品は、19世紀から20世紀にかけて活躍したフランスの画家、ピエール=オーギュスト・ルノワールが1895年に制作した油彩画「神殿の舞(イオカステ)」です。オルセー美術館所蔵「印象派―室内をめぐる物語」展で紹介されるこの作品は、ルノワールが印象派の探求から一歩進み、新たな芸術的表現を追求した晩年の特徴を色濃く示しています。

制作背景・経緯・意図

ルノワールは、1881年にイタリアを訪れ、ラファエロやティツィアーノといったルネサンスの巨匠たちの作品に触れたことで、印象派が重視した視覚的効果の追求に疑問を抱くようになります。彼は、「印象派ではこれ以上進めない」と感じ、光の表現から、神話や女性の裸体といった普遍的な主題へと関心を移していきました。この転換期を経て、より古典的で記念碑的なスタイルを模索するようになります。

晩年のルノワールは、特に地中海の風景を神話の発祥地と捉え、「踊る浴女たち、家庭の田園風景、古典神話のドラマ」といった喜びにあふれる主題に専念しました。本作「イオカステ」が制作された1895年には、古代ギリシャ演劇、特にソフォクレスの悲劇『オイディプス王』に関心を寄せ、オイディプス物語を題材とした連作を手がけています。イオカステは、オイディプス王の母であり妻である登場人物であり、運命、自由意志、避けられない宿命といったギリシャ悲劇の深遠なテーマが、この作品の背景にある意図として考えられます。

また、この時期のルノワールは深刻なリウマチと関節炎に苦しんでいました。1894年には杖なしでは歩けなくなるほどでしたが、彼は「歩くことよりも絵を描きたい」と語り、絵筆を手に縛り付けてまで制作を続けました。このような苦難の中にあっても、彼の作品には「愛らしく、楽しく、美しいもの」を描こうとする一貫した姿勢が見られます。

技法と素材

「神殿の舞(イオカステ)」は油彩によってカンヴァスに描かれています。ルノワールの晩年の様式は、印象派の自由な筆致を残しつつも、より堅固で写実的な描写へと移行しました。彼の裸体表現は、古代の記念碑性を追求し、腰が広く、胴が長く、脚が丸みを帯びた、より量感のある姿へと変化しています。

色彩においては、薄い絵の具の層を重ねる「虹色の時代」と呼ばれる技法が見られ、赤や緋色といった色が以前にも増して強さと輝きを増し、象徴的かつ詩的な世界を創り出しています。柔らかな、流れるような色彩表現は、人物の肉感を豊かに描き出し、官能的な印象を与えます。彼は、ルーベンスやティツィアーノといった古典の巨匠たちに意識的に着想を得て、装飾性と古典的形態を融合させた独自のスタイルを確立しました。

作品の持つ意味

本作品「イオカステ」は、ギリシャ神話の悲劇的な物語の一端を担う人物を描きながらも、ルノワールが晩年に追求した「永遠の女性性」や「時間を超えた美」の象徴としての意味を持っています。神話という普遍的な主題を通じて、人間の運命や存在の意義といった深遠な問いを投げかけていると解釈できます。同時に、彼の作品全体に共通する「生きる喜び」や「幸福感」が、神話の登場人物にも宿っているかのように表現されています。肉感的な裸体表現は、絵画と彫刻の間の境界を探る、装飾的かつ触覚的な美意識の表れでもあります。

評価と影響

ルノワールの晩年の作品は、制作当時は多くの収集家や画家たちから高く評価されました。特に、彼の流麗な筆致と卓越した色彩感覚は、マティス、ピカソ、マイヨールといった次世代のモダニズムの先駆者たちに影響を与え、彼らはルノワールを「最も偉大な現存画家の一人」と見なしました。しかし、20世紀後半になると一部の批評家からは「巨大で赤ら顔の太った女性像」や「舞台じみた仰々しさ」と評され、時には「キッチュ」とまで言われることもありました。ニューヨークのメトロポリタン美術館やMOMAが晩年のルノワール作品を手放した例もあるほどです。

それでもなお、ルノワールが生涯を通じて追求した「光、色彩、そして生きる喜び」の表現は、今日まで多くの人々に愛され続けています。彼は、日常の瞬間を時代を超えた人間経験の祝祭へと昇華させた巨匠として、その芸術的遺産を現代に伝えています。