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花器:鼠 Vase with Mice

ウジェーヌ・ルソー Eugène Rousseau

ウジェーヌ・ルソー作《花器:鼠》

オルセー美術館所蔵「印象派―室内をめぐる物語」展に出品されているウジェーヌ・ルソーの《花器:鼠》は、1875年から1878年にかけて制作されたクリスタル・ガラス製の作品です。この花器は、エングレーヴィング、エナメル彩、そして金彩といった精緻な技法が用いられ、当時のフランスにおける装飾美術と「ジャポニスム」の影響を色濃く反映しています。


背景・経緯・意図

ウジェーヌ・ルソー(1827-1890)は、フランスの著名な工芸家であり美術商でした。彼は1855年に父親が経営していた陶器店を引き継ぎ、日本のデザインに強い関心を抱くようになり、ガラス器の取り扱いを始めました。当時の工芸家たちと共同で、日本的な意匠を取り入れた工芸品を数多く制作し、フランスのガラス工芸における「ジャポニスム」の流行に大きく貢献しました。1867年のパリ万国博覧会では、浮世絵師・葛飾北斎の『北斎漫画』に描かれた動物をモチーフにした食器セットを版画家フェリックス・ブラックモンに依頼して制作させるなど、日本趣味の製品の普及に尽力しました。ルソーは単なる美術商にとどまらず、同時代の新しい工芸技術にも深い興味を持ち、様々な職人に制作を依頼することで、革新的な作品を生み出しました。彼のこうした活動は、「装飾美術協会連合」の会員に選出され、1872年にはレジオンドヌール勲章を受章するなど、美術界で高く評価されました。

《花器:鼠》は、こうしたルソーの活動の延長線上に位置づけられます。この作品は、印象派の画家たちが戸外の風景描写のみならず、近代都市パリの室内や現代生活の情景にも目を向け、私邸の壁面装飾や室内装飾用のオブジェを手がけた時代の潮流を象徴しています。 「大芸術」と「装飾芸術」の区別が曖昧になりつつあった19世紀後半において、ルソーは装飾美術の可能性を追求し、実用性と芸術性を兼ね備えた作品を世に送り出すことを意図していました。

技法や素材

この《花器:鼠》は、透明度の高いクリスタル・ガラスを素材としています。表面には「エングレーヴィング」という技法が施されており、これはガラスの表面を研磨用の回転砥石やダイヤモンド工具などで削り、模様を彫り込むことによって、繊細なデザインや立体感を生み出すものです。

さらに、色彩豊かな「エナメル彩」と、豪華な輝きを添える「金彩」が用いられています。エナメル彩は、ガラスに低融点の色ガラス粉末を焼き付けることで発色させ、金彩は、金を用いた絵付けを施すことで、作品に豊かな装飾性と優美さを加えています。これらの複合的な技法により、クリスタル・ガラスの透明な輝きと、装飾的な色彩が見事に調和しています。

意味

《花器:鼠》における「鼠」のモチーフは、ウジェーヌ・ルソーが傾倒した「ジャポニスム」との関連性が指摘できます。日本の美術では、動物がしばしば愛らしい姿や象徴的な意味合いを持って描かれます。ルソーが『北斎漫画』から動物の意匠を採り入れた例があるように、「鼠」もまた、日本の豊かな自然や日常生活へのまなざしを通して、親しみやすさや生命力を象徴するものとして解釈できるでしょう。

また、本作品が展示される「印象派―室内をめぐる物語」展のテーマは、印象派が室内の情景や、戸外の自然を室内に取り込む試みに注目しています。 この花器に描かれた鼠は、自然界の一要素が洗練された装飾品として室内に迎え入れられ、日常生活に趣と物語性を加えるという、当時の室内装飾の動向を具現化したものと捉えることができます。単なる機能的な容器ではなく、見る者にささやかな驚きと安らぎを与える芸術品として、室内の空間に新たな息吹を吹き込む役割を担っていたと考えられます。

評価や影響

ウジェーヌ・ルソーは、19世紀後半のフランスにおける装飾美術、特にガラス工芸の分野において、革新的な役割を果たしました。 彼の作品は、当時の欧州を席巻した「ジャポニスム」の潮流を具体的に形にし、多くの芸術家や愛好家に影響を与えました。 《花器:鼠》に代表される彼のガラス工芸は、絵画や彫刻といった「大芸術」と、家具や調度品などの「装飾芸術」の境界を曖昧にし、両者の融合を試みた時代の精神を体現するものです。

ルソーの活動は、アール・ヌーヴォーの工芸家にも影響を与え、その後のフランス工芸史における重要な礎となりました。彼の残した作品群は、単なる美しい調度品としてだけでなく、19世紀後半の美術と社会、そして東西文化交流の様相を理解する上で貴重な資料となっています。