ポール・ゴーガン Paul Gauguin
オルセー美術館所蔵「印象派―室内をめぐる物語」展で紹介されるポール・ゴーガンの《マルティニック島の牧草地》は、1887年に制作された紙に鉛筆、黒チョーク、グアッシュ、水彩、パステルを用いた作品です。この作品は、ゴーガンが印象派から独自の様式へと移行する転換期における重要な作例として位置づけられています。
ポール・ゴーガンは、ヨーロッパの文明社会に背を向け、より原始的で素朴な生活や風景の中に芸術的インスピレーションを求めました。彼は1887年、友人シャルル・ラヴァルと共にパナマを訪れた後、カリブ海のマルティニック島に約半年間滞在しました。この地で、ゴーガンは熱帯の豊かな自然とそこに暮らす人々の生活に魅了されます。しかし、ゴーガンは滞在中に赤痢やマラリアに苦しみ、経済的にも困窮しました。最終的にはフランス政府の費用で帰国することになりますが、このマルティニックでの経験は、彼のその後の芸術に決定的な影響を与えました。
マルティニックでの滞在は、ゴーガンが「野蛮人のように生きる」ことを試みた最初の本格的な試みであり、後のタヒチへの旅の序章となりました。彼はこの地で約15点から20点前後の作品を制作し、熱帯の風景やそこで働く人々、そして現地の女性たちを数多く描いています。 《マルティニック島の牧草地》は、都市文明から逃れ、神秘的で官能的、そして自然に近い楽園を夢見たゴーガンの探求が始まった時期の作品と言えます。
この作品は、紙に鉛筆、黒チョーク、グアッシュ、水彩、パステルという複数の素材が用いられています。この複合的な技法は、ゴーガンがこの時期に印象派の筆触分割や自然主義的な構成から離れ、平塗りの色彩や装飾的な効果を追求し始めたことを示しています。 グアッシュによる作品は、油彩画のような濃密な色彩効果とは異なるものの、鮮やかな色彩、巧みな遠近表現、そして輪郭線の効果が明確に見られます。
また、本作は扇面画の形式をとっています。扇面画は1870年代中頃から、エドガー・ドガやカミーユ・ピサロといった「日本趣味(ジャポニスム)」の影響を受けた画家たちの間で流行しました。ゴーガンも1884年頃から扇面画を手がけ始め、生涯にわたって20点以上制作しました。これらの作品において、ゴーガンは以前の油彩画で用いたモチーフを扇面という独特な画面に再構築しています。
《マルティニック島の牧草地》を含むマルティニック時代の作品は、ゴーガンが印象派的な表現から脱却し、独自の様式を確立する上で重要な転換点となりました。彼はこの地で、熱帯の暑さや豊かな植生を、温かい緑と軽い筆致で表現し、装飾性を強調するような平坦な色彩の対比へと移行しました。
作品に描かれたマルティニックの風景は、単なる異国情緒の表現に留まらず、ゴーガンが求めた「原始的な生活」や「楽園」のイメージを具現化したものです。この時期の作品には、農作業や休息中の人々、カリブの豊かな自然が描かれ、人間と自然が調和した素朴な生活の様子が映し出されています。 しかし、当時のヨーロッパの植民地主義的な視点も反映されている可能性も指摘されています。
ゴーガンがマルティニック島で制作した作品は、彼のその後の芸術に大きな影響を与えました。特に、鮮やかな色彩と大胆な構図は、ポスト印象派や象徴主義、そして後のピカソやマティスといった前衛美術家たちにも影響を与えています。
1887年のマルティニックでの制作は、彼が故郷のパリを「貧しい人間にとっての砂漠」と呼び、よりシンプルな生活を求めてフランスの地方や、後のポリネシアへと旅立つきっかけとなりました。 実際、マルティニックから持ち帰った作品は、彼の評価を高めるきっかけとなります。特に、フィンセント・ファン・ゴッホの弟テオがゴーガンの作品を購入したことで、ゴッホ兄弟との交流も始まりました。
《マルティニック島の牧草地》は、文明社会への批判意識を抱き、原始的なものへと回帰しようとするゴーガンの芸術の方向性を明確に示す、初期の重要な作品の一つです。