エドガー・ドガ Edgar Degas
オルセー美術館所蔵「印象派―室内をめぐる物語」にて展示されるエドガー・ドガの作品「背中を拭く女」についてご紹介します。
この作品は、エドガー・ドガが百八十八八年から百八十九二年頃に制作した「化粧する女たち」、あるいは「浴後の女性たち」と称される連作の一つです。 ドガは、それまでの歴史画や神話画に描かれてきた理想化された裸婦像とは異なり、女性の日常的な振る舞いや、他者の視線を意識しない無防備な瞬間を捉えることに深い関心を持っていました。 彼は「女とは自分自身にばかりかまけているいきもの、わが身を丁寧に舐めて浄める猫のようなものだ」と述べ、自身の描く女性たちは「見る人を意識したようなポーズ」ではなく、「素朴で、正直で、身体を美しく粧うことばかりに気をとられている女たち」であると語っています。 このように、鑑賞者が「鍵穴からその女を覗き見しているような錯覚におそわれる」ような、プライベートな情景を客観的に描写しようとする意図が込められています。
制作にはパステルが用いられており、紙(カルトンに貼付)を支持体としています。 ドガはパステルを油彩画に劣らない高い密度と輝くような発色で駆使し、この技法において彼のみが到達し得た極致を示しました。 木炭で形をとった後、パステルで肌の柔らかさや布の質感を巧みに描き出し、入浴後の女性が体を拭く一瞬の動きを生き生きと捉えています。 ドガの卓越した素描力は、スナップショットのような瞬間的な描写に、確かな実在感と永遠性を与えています。
本作品は、入浴という私的な行為に没頭する女性の姿を通して、近代絵画における視線の問題や、新たな女性像の表現を提示しています。 ドガの女性像へのアプローチは、冷徹なまでに客観的であり、理想化を排した生身の肉体を描き出すことで、伝統的な裸婦表現に挑戦しました。 これは、印象派の画家たちが身の回りの暮らしに画題を求め、「現代性(モデルニテ)」というテーマを探求したことにも繋がります。
この作品は、ドガの円熟期における代表的な作品の一つとして評価されています。 彼がパステルで達成した表現の密度と色彩の鮮やかさは、特筆すべきものです。 従来の絵画が持つ見る者への意識的なポーズから離れ、日常のさりげない瞬間を捉えたドガの視線は、後の芸術家たちにも大きな影響を与えました。この作品は、オルセー美術館のコレクションとして、その芸術的価値と、近代における女性表現の革新性を示すものとして広く認知されています。