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身づくろい(髪をとかす女) The Toilette: Woman Combing Her Hair

ピエール=オーギュスト・ルノワール Pierre-Auguste Renoir

オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語 展より ピエール=オーギュスト・ルノワール作 「身づくろい(髪をとかす女)」

ピエール=オーギュスト・ルノワールが1907年から1908年にかけて制作した油彩画「身づくろい(髪をとかす女)」は、現在開催中の「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」展において、画家の晩年の境地を示す重要な作品として紹介されています。この作品は、縦55cm、横46.5cmのカンヴァスに描かれ、フランスのオルセー美術館に所蔵されています。


制作背景と意図

ルノワールは、初期の印象派時代に光の表現を追求した後、1880年代にはイタリア旅行での古典絵画からの影響を受け、明確な輪郭線を用いる「アングル風」と呼ばれる古典主義的な様式へと一時的に移行しました。しかし、1890年代以降、彼は再び画風を変化させ、温かく豊かな色彩による女性裸体画を数多く制作するようになります。

本作が制作された1900年代から晩年にかけて、ルノワールは重度の関節リウマチに苦しんでいました。 手足が麻痺し、車椅子での生活を余儀なくされながらも、彼は絵筆を手放すことなく制作を続け、「絵は楽しく美しく愛らしいものでなくてはならない」という信念のもと、「見る人が喜ぶ絵を描く」ことに力を注ぎました。

「身づくろい(髪をとかす女)」は、このような晩年のルノワールの芸術観を色濃く反映しています。彼は、日常生活の一コマ、特に女性が髪をとかすというプライベートな瞬間にこそ美しさがあると考え、それを絵画の主題としました。 これは、風景に人物を埋没させた印象派の初期作品とは異なり、人物、特に若い女性の美しさへの賛美と、生の幸福を追求するルノワールの意図が明確に表れたものです。


技法と素材

本作は油彩でカンヴァスに描かれています。ルノワールの晩年の作品に共通する特徴として、温かみのある芳醇な色彩と柔らかな質感が挙げられます。 1880年代の「アングル風」の時代を経て獲得した明確な輪郭線は、この時期には優しく残されつつ、鮮やかで豊かな色彩が用いられています。

特に肌の表現においては、赤や緋色といった暖色が多用され、見る者に官能的で生き生きとした印象を与えます。 筆致は流動的で奔放ながらも、顔の部分では滑らかな仕上がりとなり、人物の内面性や性格までも表現することに成功しています。 白いブラウスの微妙な皺や、豊かな黒髪をくしけずる女性の横顔からは、画家の衰えることのない表現力がうかがえます。


作品の意味

「身づくろい(髪をとかす女)」は、女性の私的な時間と美しさを称賛する作品です。ルノワールは、日常の中に潜む「快」や「喜び」を絵画で表現することを目指しました。 髪をとかす女性の姿は、飾らない自然な美しさ、そして穏やかで親密な空間における女性の存在そのものを象徴しています。

この作品は、「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」展のテーマである「室内」という視点からも重要な意味を持ちます。 印象派が戸外の光を捉えることに注力した一方で、ルノワールは室内における人物の肖像や風俗画にも深く関心を寄せました。彼は、外部から遮蔽された室内の奥、よりプライベートな空間で、女性が身づくろいをする姿を描くことで、人間らしい幸福感と安らぎを表現したのです。


評価と影響

ルノワールの晩年の作品は、その穏やかで幸福感に満ちた作風により、広く大衆に受け入れられました。彼は「絵筆を布で手首に巻き付けて」絵を描き続けたと言われるほどの情熱を最期まで持ち続け、死の直前には「絵の描き方ってものがわかりかけてきたぞ」と語ったと伝えられています。

「身づくろい(髪をとかす女)」を含む彼の晩年の作品群は、印象派の巨匠としての評価を不動のものとしました。特に女性の美を追求した作品は、国際的にも高い人気を博し、見る者に無条件の幸福を感じさせると評価されています。 オルセー美術館に所蔵されていること自体が、この作品の美術史における重要性と高い評価を示しています。