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両面譜面台 Double-sided Music Stand

トーネット兄弟社 Thonet Frères

オルセー美術館所蔵「印象派―室内をめぐる物語」展に展示されているトーネット兄弟社の作品「両面譜面台」は、19世紀後半のヨーロッパにおける家具製造の革新と、当時の豊かな室内文化を象徴する一点です。

制作背景・経緯・意図

この「両面譜面台」は、ドイツの家具メーカーであるトーネット兄弟社が、1873年から1888年にかけて原型を制作したものです。トーネット社の創業者ミヒャエル・トーネットは、1819年に工房を設立し、木材を蒸気で熱して曲げる「曲木(まげき)加工」という画期的な技術を開発しました。この技術は、それまでの重厚な手彫りの家具とは異なり、軽く、丈夫で、優美な曲線を持つ家具の大量生産を可能にしました。1853年にミヒャエルが5人の息子たちに事業を譲渡し「トーネット兄弟社」と改称して以降、同社はウィーンからチェコに工場を移転し、ブナ材の豊富な供給と安価な労働力を確保することで、家具の工業生産と世界的な流通を確立しました。部品を分解して輸送し、現地で組み立てる「ノックダウン方式」を採用するなど、その生産体制は後の家具産業に多大な影響を与えています。

この譜面台の制作意図は、トーネット社が追求した「誰もが手に入れられる、エレガントで機能的な家具」という理念にあります。19世紀後半のヨーロッパでは、中産階級の台頭とともに家庭内での音楽演奏が盛んになり、譜面台のような音楽関連の家具の需要が高まっていました。このような背景の中で、この「両面譜面台」は、実用性と装飾性を兼ね備え、当時の洗練された室内空間を彩る調度品として生み出されました。

技法と素材

「両面譜面台」には、トーネット社の代名詞である「曲木加工」が用いられています。主要な素材は、曲げ加工に適したブナ材と合板です。ブナ材は高温の蒸気で柔らかくされ、職人によって型にはめ込まれて曲線的なフォルムが形成されました。これにより、しなやかで優雅な構造が実現されています。

表面は黒色に着色され、さらに「熱転写による模造寄木象嵌」という装飾が施されています。一般的な寄木象嵌(木象嵌)は、異なる種類の木材をカットし、組み合わせて模様や絵画を表現する伝統的な木工技術です。しかし、「模造寄木象嵌」という表現は、実際に木材をはめ込むのではなく、熱転写技術を用いて寄木象嵌のような模様を表面に印刷することで、視覚的な美しさを実現しつつ、製造工程の効率化とコスト削減を図ったものであると考えられます。これにより、伝統的な装飾技法に匹敵する視覚効果を、より工業的な手法で提供することが可能となりました。

意味合い

この「両面譜面台」は、単なる家具としての機能を超え、いくつかの重要な意味を持っています。第一に、ミヒャエル・トーネットが切り開いた工業的な家具生産の象徴であり、デザインの民主化に貢献した点を挙げられます。かつて特注品であった優美なデザインの家具が、多くの人々の手に届くようになった時代の流れを示しています。

第二に、今回展示される「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」展の文脈において、この作品は特に深い意味を持ちます。印象派の画家たちが、移ろいゆく光や風景だけでなく、近代都市パリにおける人々の「室内」での生活や親密な情景を描いたことに焦点を当てた本展において、この譜面台は当時のブルジョワ階級の家庭に実際に存在したであろう具体的な物品として展示されています。 例えば、本展で同時展示されるルノワールの傑作《ピアノを弾く少女たち》のような作品が描く、家庭での音楽演奏という情景を、この譜面台が現実の空間として喚起させます。それは、描かれた世界と現実の生活空間とを結びつける重要な役割を果たし、19世紀の室内文化の豊かさや、音楽が日常生活の中でいかに重要な位置を占めていたかを物語っています。

評価と影響

トーネット兄弟社の家具は、その革新的な曲木技術とデザイン、そして大量生産による普及によって、19世紀後半のヨーロッパ社会に大きな影響を与えました。ロンドン万国博覧会やパリ万国博覧会などの国際的な博覧会で金メダルを受賞し、そのデザイン性と技術力は世界的に高く評価されました。

「両面譜面台」のような機能性と装飾性を兼ね備えた家具は、当時の豊かな室内文化を形成する上で不可欠な要素でした。その優雅な曲線と実用的なデザインは、多くの人々に受け入れられ、当時の家庭における音楽鑑賞の普及を後押ししたと考えられます。この譜面台がオルセー美術館のコレクションに収蔵され、国際的な美術展で展示されること自体が、その歴史的・美術史的な重要性を裏付けています。それは単なる実用品ではなく、19世紀の技術革新、デザインの潮流、そして社会文化を語る上で欠かせない貴重な作品として、現在も評価され続けています。