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ピアノを弾くマネ夫人 Madame Manet at the Piano

エドゥアール・マネ Édouard Manet

オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語

エドゥアール・マネ作「ピアノを弾くマネ夫人」

エドゥアール・マネが1868年に油彩でカンヴァスに描いた「ピアノを弾くマネ夫人」は、画家自身の妻であるスザンヌ・レーンホフを描いた作品です。この絵は、印象派の先駆者として知られるマネの私的な側面と、彼の芸術的な探求を示す重要な一点として、オルセー美術館に所蔵されています。

背景・経緯・意図

本作のモデル、スザンヌ・レーンホフはオランダ出身の才能あるピアニストであり、1849年頃にマネ家のピアノ教師としてエドゥアール・マネとその弟にピアノを教えていました。マネとスザンヌは1863年に結婚し、以降、彼女はマネの作品の重要なモデルの一人となります。夫妻の自宅では定期的に音楽の夕べが催され、スザンヌはシューマンやリヒャルト・ワーグナーといった作曲家の作品を優れた解釈で演奏しました。詩人シャルル・ボードレールが1866年に脳卒中で倒れた際、スザンヌが病床の彼のためにワーグナーを演奏したというエピソードも残されています。

この作品の制作には、友人である画家エドガー・ドガとの興味深いエピソードが背景にあります。ドガは1868年から1869年頃にマネ夫妻を描いた絵「マネとマネ夫人像」(現在、北九州市立美術館蔵)をマネに贈りました。しかし、マネはこの絵に描かれた妻の顔の描写が気に入らず、その部分を切り取ってしまったと言われています。妻の表現が「夫婦間の親密さを欠いている」と感じたためとも伝えられています。この出来事の後、マネはドガの描写とは異なる「彼自身の、より魅力的な描写」として、本作品「ピアノを弾くマネ夫人」を制作したとされています。これは、マネが妻のピアノの才能と、彼女が家庭生活において持つ役割に深い敬意を抱いていたことを示唆しています。

技法や素材

本作は1868年に油彩(オイル・オン・カンヴァス)で制作されました。画面のサイズは縦38.5cm、横46.5cmです。

マネは、写実主義と印象派を結びつける革新的なスタイルをこの作品で示しています。スザンヌ夫人のピアノの才能を強調するため、マネは比較的高めの視点から彼女を描き、その手がはっきりと見えるように構成しています。画面全体には目に見える筆致が用いられ、鍵盤や夫人の黒いドレスの質感、そして金色の額縁の壁パネルが、色面によって巧みに描き分けられています。また、画面の右上には、鏡に映り込む時計や一対の燭台といった小さな静物が描かれており、平坦になりがちな背景に奥行きと活気を与えています。

作品の持つ意味

「ピアノを弾くマネ夫人」は、単なる肖像画に留まらず、マネ夫妻の親密な関係と、当時のブルジョワ家庭における音楽の重要性を象徴しています。夫人は尊敬される上流階級の女性であり、熟練したピアニストとしてのアイデンティティが強調されています。

また、この絵には、夫の放蕩な生活に対し、ピアノを弾くことで自身の心の平穏を保ち、家庭を支え続けたスザンヌ夫人の内面的な感情や孤独がにじみ出ているという解釈も存在します。マネが、妻への愛情、悔悟、そして自責の念といった複雑な感情を織り交ぜながら、確かなリアリズムをもって彼女の姿を描き出した作品であるとも言えるでしょう。

評価や影響

「ピアノを弾くマネ夫人」は、マネの肖像画における重要な位置を占める作品として、後世に高く評価されています。この作品は、1884年にエコール・デ・ボザールで開催されたマネの回顧展をはじめ、1983年のグラン・パレでの展覧会、そして2023年から2024年にかけてオルセー美術館とメトロポリタン美術館で開催された「マネ/ドガ」展など、数々の主要な展覧会で紹介されてきました。これらの展示は、マネの肖像画の重要性、そして近代美術に対する彼の多大な影響を理解する上で、本作がいかに不可欠であるかを物語っています。

また、この作品はアメリカの画家ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの「ピアノにて」との類似性が指摘されており、当時の画家たちの間で共有されていた主題や表現への関心もうかがえます。マネが「近代絵画の父」として印象派の画家たちに大きな影響を与え、その後の芸術の流れを形成する上で重要な役割を果たしたことは広く認められています。本作もまた、そうしたマネの芸術的功績の一端を担う作品として、今日までその価値が再認識され続けています。