ジェームズ・ティソ James Tissot
オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語
本展「オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語」にて展示されるジェームズ・ティソの《L. L. 嬢の肖像》は、1864年に制作された油彩画です。この作品は、画家ティソがそれまでの歴史画から近代的な主題へと作風を転換した時期の重要な一点として知られています。
制作背景と意図 ジェームズ・ティソは1859年以降、中世の歴史や文学に触発された作品をサロンに出品し、一定の成功を収めていました。1861年には《ファウストとマルグリットの逢瀬》が国に買い上げられ、公式な評価を得ています。しかし、1864年にティソは作風を大きく転換し、批評家テオフィル・ゴーティエが「我々の世紀に入った」と評したように、同時代の主題へと焦点を移しました。この年、ティソは二つの肖像画をサロンに出品し、その一つが本作《L. L. 嬢の肖像》でした。もう一点の《二人の姉妹》にも本作と同じ、いまだ特定されていないモデルが描かれています。ティソは、過去の物語ではなく、「見たいように、思うままに、もっと自由に」描きたいという意図を持っていたとされます。この作品は、戸外の光だけでなく、室内という空間における光や雰囲気の表現を探求するという本展のテーマとも深く関連しています。
技法と素材 本作はカンヴァスに油彩で描かれています。その技法と様式は、現実主義(リアリズム)の範疇に位置づけられます。ティソは独創的でやや謎めいた構図を用いることで、当時の批評家からも注目を集めました。特に、鮮やかな赤色のボレロジャケットと、それを囲む鈍い緑色の背景との間の際立った色彩の組み合わせは、見る者に強い印象を与えます。モデルが身につけている、ふさ飾りのついた赤いボレロは、1860年代に流行したスペイン風ファッションの影響が見られます。また、たっぷりとした黒いサテンのスカートなど、衣服の細部まで精緻に描写されています。女性のゆったりとした右腕のポーズは、アングルが描いた《セノンヌ夫人》や《モワテシエ夫人》の肖像画を想起させると指摘されています。テーブルの上の本や彼女の毅然とした視線は、独立した精神を持つ女性像を示唆しています。
作品が持つ意味 《L. L. 嬢の肖像》は、19世紀の女性像、すなわちスタイリッシュで洗練された、良家の女性を描いています。この作品の最大の魅力は、モデルである「L. L. 嬢」の身元が今日に至るまで特定されていないこと、そして彼女が何に座っているのかが不明瞭であるという、その謎めいた構図にあります。これは作品に神秘的な雰囲気を加え、観る者の想像力を掻き立てます。鮮やかな赤色のジャケットが、周囲の落ち着いた室内の色調と見事な調和を生み出し、人物像を際立たせています。
評価と影響 本作は1864年のサロンで「大成功」を収めました。当時の批評家ジュール・カスタニャリーは、ティソが作風を大きく変え、クールベに近づいたと評価し、ティソをレアリスムの画家として位置づけています。この作品によって、ティソは歴史画の画家から、近代的なテーマと写実的な肖像画の担い手としての地位を確立しました。現在、この絵画はパリのオルセー美術館に所蔵されており、1907年にフランス国家によって取得されました。