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ギュスターヴ・ジェフロワ Gustave Geffroy

ポール・セザンヌ Paul Cézanne

オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語

ポール・セザンヌ《ギュスターヴ・ジェフロワ》

オルセー美術館のコレクションより、ポール・セザンヌが1895年から1896年にかけて制作した油彩・カンヴァス作品《ギュスターヴ・ジェフロワ》をご紹介します。

作品の背景と経緯

この肖像画のモデルであるギュスターヴ・ジェフロワは、ジャーナリスト、文筆家、そして美術批評家として知られ、オーギュスト・ロダンやクロード・モネの友人でもありました。彼は当時、画壇で正当な評価を得ていなかったセザンヌの作品を熱心に支持し、1894年3月にはセザンヌを称賛する記事を寄稿しました。この賛辞に感謝し、またジェフロワが自身を理解してくれたと感じたセザンヌは、彼の肖像画を描くことを決めました。

この作品は、セザンヌが故郷エクスに制作拠点を移した1880年代以降の作品としては珍しく、パリで制作されました。ジェフロワは1895年4月から約3ヶ月間、パリの自宅書斎で毎日モデルを務めました。しかし、長期間にわたる制作にもかかわらず、セザンヌは絵の出来栄えに納得せず、作品を未完成のままパリを去ってしまったと伝えられています。セザンヌはモネへの手紙で、「多くの写生と相次ぐ熱狂と絶望の後で、私が得たわずかな結果に少々動揺している」と心境を語っています。また、制作の過程で、セザンヌはジェフロワの多様な芸術的嗜好や宗教への無関心さに苛立ちを感じ、当初の感謝の念が敵意へと変わっていったという証言も残されています。

技法と素材

本作は油彩でカンヴァスに描かれています。画面中央には、ほぼ正面から捉えられたギュスターヴ・ジェフロワが椅子に腰掛け、仕事机に両手を置いて数冊の仮綴本を広げている姿が描かれています。画面の左側には薔薇が挿された花瓶とロダンの彫刻が配され、ジェフロワとロダンの友好的な関係を示唆しています。人物の背後には、本棚に秩序正しく並べられた多くの本が見られ、文筆家としての知識の豊かさを象徴しています。

セザンヌは、手前の仕事机に置かれた書物や小物から、ジェフロワの姿態と顔面へ、そして斜めに配された椅子を経て背後の本棚へと、鑑賞者の視線を自然に誘導するような連帯的統一性のある画面構成を意図しました。背景の本や机の上のノートなどには、セザンヌ独特の構築的な描法が施されており、現実の空間を写実的に捉えつつ、それを力強く厳密な構造に調整しようとするセザンヌの制作態度が表れています。顔や手の描写が未完成であるにもかかわらず、この未完成さがかえって人物像に不透明で神秘的な、あるいは威嚇的とさえ感じられる印象を与え、作品に特別な威厳を加えています。

作品の意味

この作品は単なる肖像画に留まらず、モデルであるジェフロワの知的活動や審美眼を象徴的に表現しています。画面に配置された本やロダンの彫刻、薔薇は、ジェフロワの文化人としての嗜好と識見を示しています。

セザンヌの肖像画は、しばしばモデルの内面や存在感を深く探求する傾向があります。この作品におけるジェフロワの厳格な表情は、彼が類まれな知識人であることを示す一方で、セザンヌの作品によく見られる、ある種の無機的な人物表現とも解釈できます。また、セザンヌは自身の作品において、自然の本質を捉えようとする「真に素朴な」制作姿勢を追求しており、この肖像画でも背景の確固たる造形を通して人物の特徴を表現するという斬新なアプローチが見られます。テオドール・レフは、この作品を含むセザンヌ後期の肖像画に「暗く、揺らめく精神性」を見ており、セザンヌ自身の品位や抑制といった個人的な特質がモデルの顔立ちに反映されている可能性を指摘しています。

作品の評価と影響

《ギュスターヴ・ジェフロワ》は、後期印象派の巨匠ポール・セザンヌを代表する肖像画作品の一つとして位置づけられています。セザンヌ自身は不満を抱き未完成としましたが、この作品は後の美術史に多大な影響を与えました。

特に、パブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックといった後のキュビスムの画家たちに強い影響を与えたことで知られています。本棚の幾何学的でありながら独特の遠近感を持つ構造や、卓上の空間の大胆な構成は、彼らの関心を強く惹きつけました。セザンヌが提唱した「自然を円筒、球、円錐によって扱う」という考え方は、自然界のあらゆるものを単純な幾何学的形態に還元しようとするキュビスムの理論的基盤となったと解釈されています。

本作は、セザンヌが没した翌年の1907年に開催されたサロン・ドートンヌの回顧展で展示され、最も称賛された作品の一つとなりました。セザンヌは「近代絵画の父」と称され、彼の革新的な表現方法は20世紀の美術、特にキュビスムの形成に決定的な影響を与えました。この《ギュスターヴ・ジェフロワ》は、セザンヌの芸術における重要な転換点と後世への影響を示す記念碑的な作品と言えるでしょう。