フレデリック・バジール Frédéric Bazille
オルセー美術館所蔵 印象派―室内をめぐる物語
本作品は、フランスの画家フレデリック・バジールが1870年に油彩でカンヴァスに描いた作品《バジールのアトリエ (ラ・コンダミンヌ通り)》です。縦98.0cm、横128.0cmのこの絵画は、現在パリのオルセー美術館に所蔵されています。
フレデリック・バジール(1841-1870)は、南フランスのモンペリエの裕福な家庭に生まれた印象派の画家です。当初は医学を志しましたが、画家への道を歩み、パリのシャルル・グレールのアトリエでクロード・モネ、ピエール=オーギュスト・ルノワール、アルフレッド・シスレーら、後に印象派の中心となる画家たちと出会い、親交を深めました。 経済的に恵まれていたバジールは、困窮する友人たちにアトリエの場所や画材を提供し、また彼らの作品を購入するなどして、支援を惜しみませんでした。彼は、当時のアカデミズム絵画に飽き足らず、戸外制作など新しい絵画表現を模索する彼らバティニョール派(後の印象派)の画家たちにとって、精神的、経済的支柱であり、異なる画塾出身の仲間たちを結びつける役割も果たしました。
本作は、バジールが1868年1月から1870年5月までルノワールと共同で借りていたパリのラ・コンダミンヌ通り9番地のアトリエを描いたものです。 作品の意図は、当時のパリにおける芸術的な状況と、前衛的な芸術家たちの緊密な関係性を捉えることにありました。 また、当時の美術界の主要な展覧会であったサロンの審査に不満を抱いていたバジールは、サロンに拒否された自身の作品や友人たちの作品をアトリエの壁に掛けることで、アカデミーへの批判と自身の芸術観を表明しています。
作品は油彩でカンヴァスに描かれています。 画面中央でパレットを持つ長身のバジール自身の姿は、友人のエドゥアール・マネによって描かれたことが、バジールが父親に宛てた手紙に記されています。 この絵画では、大きな窓から差し込む柔らかな光が部屋全体を均等に照らし、広々とした空間に心地よい空気の流れを感じさせます。 バジールの画風は、モネほど奔放ではなく、ルノワールよりも緻密で、アカデミックな精緻さと新しい画派の自由な筆致を融合させたものであったと評されています。 写実的な顔の表情と細部への注意、そして力強い筆致が特徴です。
この作品は、バジール自身の自画像であると同時に、当時のパリで活躍した前衛芸術家たちの集合肖像画としての意味合いを持っています。 画面には、アトリエで思い思いに過ごすバジールの友人たちが描かれています。右からピアノを弾く音楽家で美術収集家のエドモン・メートゥル(バジールの親友)、中央で帽子とステッキを持ちバジールの絵に助言するエドゥアール・マネ、階段に座る作家のエミール・ゾラ、座って顔を上げるルノワール、そしてマネの傍らに立つクロード・モネといった面々が確認できます。 彼らはそれぞれのいつもの姿勢や好む行動で描かれており、当時の画家たちの親密な交流が窺えます。
壁には、バジールの《トワレット》や《網を持つ漁師》、ルノワールの《二人の人物のいる風景》など、かつてサロンで落選した作品が掛けられています。 これは、バジールがアカデミーの保守的な審査基準に異を唱え、新しい芸術のあり方を支持する姿勢を明確に示したものです。 また、メートゥルの頭上に掛けられたモネの静物画は、バジールが友人の作品を購入することで彼らを経済的に支援していたことを示唆しています。
バジールは、本作を制作した1870年の数カ月後に普仏戦争で戦死し、わずか28歳でその生涯を閉じました。 彼は、1874年に始まる印象派の最初のグループ展を見ることはありませんでした。 この早すぎる死により、彼の残した作品数は限られ、長らく他の印象派の巨匠たちの陰に隠れていましたが、近年その再評価が進んでいます。
本作は、印象派がまだ明確な運動として確立される前の、その萌芽期における重要な証言として、後世に多大な影響を与えました。バジールの絵画と、彼が友人たちに提供した経済的・精神的支援は、印象派の成功に不可欠な貢献であったとされています。 この作品は、バジールがいかに才能豊かな画家であり、また印象派の形成期において中心的な役割を担っていたかを示す、感動的な記念碑となっています。