瀧口修造 / Takiguchi Shuzo
詩人、美術評論家として知られる瀧口修造が1961年に制作した「無題B-1」は、インクと紙を用いた作品です。この作品は、東京オペラシティ アートギャラリーで開催される「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展にて紹介されています。
瀧口修造は、1903年に富山県に生まれ、戦前から戦後にかけて日本の前衛芸術において精神的・理論的支柱と評された人物です。特にシュルレアリスムを日本に紹介・普及させた第一人者として知られ、1930年にはアンドレ・ブルトンの『超現実主義と絵画』を翻訳・刊行しました。長らく詩作や美術批評を主として活動していましたが、1960年頃から自身も造形作品の制作を本格的に開始しました。この時期、彼は「書くことと描くこと」の原点をたどろうという情熱に駆られ、スケッチブックに「文字ではない線描」を走らせるようになります。
「無題B-1」が制作された1961年は、まさに瀧口が自らの手による表現へと重心を移していた時期にあたります。彼にとっての造形活動は、シュルレアリスムが追求した「霊感と想像の機構」を探索し、「人間精神の解放」や「世界観の変革」を目指すものでした。作品に特定の主題やタイトルを与えず「無題」とすることで、鑑賞者の自由な解釈を促し、また彼自身の無意識的な衝動や即興性を重視した制作態度をうかがわせます。
「無題B-1」はインクと紙という簡素な素材で制作されています。瀧口は1960年代初頭に、万年筆を用いてスケッチブックに線を描き始め、その後は毛筆、鉛筆、ボールペンなど様々な画材を試しました。また、インクの色をブルーに変えたり、水を併用したり、吸い取り紙を使って一気に吸着させることで偶然の表情を生み出すなど、多岐にわたる実験を行っています。デカルコマニー(転写技法)やバーント・ドローイング(焼きこがし)といったシュルレアリスム的な技法も探求しましたが、「無題B-1」に見られるインクによる線描は、彼が「オートマティックな線」と称した、手の動きに任せた自動記述的な表現の一例と考えられます。これは、意識的なコントロールを超えたところで現れるイメージを捉えようとする、シュルレアリスムの基本的な姿勢に通じるものです。
「無題B-1」は、特定の具象的なイメージを描写するのではなく、インクの線や滲みが織りなす抽象的な形体を通じて、瀧口修造の内面世界や無意識の領域を視覚化した作品です。シュルレアリスムの主要なテーマである夢や幻想、偶然性を表現の根源とし、既存の芸術の枠組みや常識に囚われない自由な精神の探求を示唆しています。作品が「無題」であることは、鑑賞者に固定された意味を押し付けず、それぞれが作品から受け取る感覚や感情、思考を尊重するという、開かれた芸術観を反映していると言えるでしょう。
瀧口修造は、詩人、美術評論家として日本の芸術界に多大な影響を与えた後、自ら造形作品の制作に転じたことでも注目されました。彼の造形作品は、美術批評の言葉では捉えきれない彼自身の「詩的実験」の延長線上にあるものとして評価されています。1960年以降の自身の造形活動は、時に個展で発表される一方、親しい友人たちへの贈り物とされることもありました。
「無題B-1」を含むこの時期の作品群は、日本の現代美術の展開において、シュルレアリスム的な視点や自動記述の思想が、詩から視覚芸術へと拡張される可能性を示しました。瀧口のこうした活動は、荒川修作や河原温、草間彌生といった若手美術家を擁護・支援した彼の批評活動と並び、多角的な視点から日本の前衛芸術を牽引した彼の功績を物語るものです。彼の作品は、その後の世代のアーティストたちにも、表現の自由さや、既成概念にとらわれない探求の重要性を示唆するものであったと言えるでしょう。