阿部展也(芳文) / Abe Nobuya (Yoshibumi), 瀧口修造 / Takiguchi Shuzo
「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展にて紹介されている作品、阿部展也(芳文)と瀧口修造による詩画集『妖精の距離』より「レダ」は、日本のシュルレアリスム運動において重要な位置を占める共同制作です。
詩画集『妖精の距離』は、詩人・美術評論家である瀧口修造と、画家として出発し、後に前衛写真や批評活動も行った阿部展也(当時は芳文名義)の共同作業によって、1937年(昭和12年)に制作されました。瀧口は日本のシュルレアリスムの理論的支柱であり、アンドレ・ブルトンの著作翻訳などを通じてその思想を日本に紹介しました。阿部はキュビスムやシュルレアリスムの影響を受けた絵画を手がけ、1936年頃からは写真も制作し、その写真に対する姿勢には瀧口の思想が反映されていたとされます。両者は「前衛写真協会」の立ち上げにも参画するなど、緊密な関係を築いていました。
この詩画集は、阿部が描いた12点の鉛筆デッサンに瀧口が着想を得て詩を添えるという形で制作されました。瀧口は詩画集の形式に理想的な表現を見出しており、この『妖精の距離』においてそれが実現されたという喜びを表明しています。瀧口は刊行案内の文中で、「私の内部には、永いあひだ、卵のやうに絶えず温められてゐた妙な思想があつた。(中略)いま一冊の詩画集「妖精の距離」が、阿部芳文君とのあひだに作られたことはたのしい」と述べています。これは、自身の胸中にあった未分化な夢想や思想が、阿部の絵と結びつくことで具体的な形を得た喜びを表現したものです。
作品「レダ」は、詩画集『妖精の距離』に収録された12点のドローイングと詩の一つであり、版画(オフセット印刷)の技法を用いて紙に制作されました。詩画集自体は、縦30cm×横48cmの大判ケント紙12葉と、その半分大のケント紙4葉が綴じられずに白厚紙の帙に収められていました。各頁は中央で二つ折りにされ、左頁に阿部のドローイング、右頁に瀧口の詩が配置される構成でした。1937年10月に春鳥会から限定100部で刊行されています。
「レダ」という作品名は、ギリシャ神話に登場するスパルタの王妃レダと白鳥の神話に由来すると考えられます。シュルレアリスムの文脈において、古典的な題材が夢や無意識のイメージ、変形、あるいは不穏な要素と結びつけられ、新たな意味を付与されることは頻繁に見られます。詩画集全体のタイトルである「妖精の距離」は、空間的な広がりと平面的な狭さ、遠近感覚の屈折、そして精神的な距離の移行を通じて、全てが可視的であるにも関わらず、その全てを一度に捉えきれないような、捉えがたい状態を出現させるものと解釈されています。この思想は「レダ」の作品にも共通して流れており、神話的なモチーフを通じて、現実と非現実、意識と無意識の間の曖昧な「距離」を描き出そうとする意図が込められていると言えます。
詩画集『妖精の距離』は、瀧口修造にとって初の詩集であり、日本のシュルレアリスムにおける記念碑的な詩画集として位置づけられています。その発表は、阿部展也の画家としての評価と知名度を一気に高めるきっかけとなりました。また、限定100部という少部数であったこともあり、戦前の詩集や写真集の中でも代表的な稀覯本として、現在も珍重されています。
この詩画集は、瀧口が1960年代以降に手がけた「手づくり本」など、詩と造形が交錯する制作活動の萌芽としても捉えられています。さらに、詩画集に収められた詩篇の一部、「妖精の距離」と「遮られない休息」は、作曲家・武満徹にインスピレーションを与え、同名の楽曲が制作されるなど、後世の異なる分野の芸術家にも影響を与えています。本作品は、日本の近代美術史において、詩と絵画、そしてシュルレアリスムの思想が交錯する重要な成果として、現在も高く評価されています。