鶴田吾郎 / Tsuruta Goro
SOMPO美術館で開催される「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展にて、洋画家・鶴田吾郎の作品「池袋への道」が紹介されます。1946年に制作されたこの油彩・カンヴァス作品は、戦後日本の混沌とした時代における都市の姿と、そこを生きる人々の記憶を現代に伝えています。豊島区が所蔵する本作品は、焦土と化した池袋の情景を描き出した貴重な歴史的記録であり、鶴田吾郎の画業における転換点を示すものとしても注目されます。
鶴田吾郎(1890-1969)は、現在の新宿区牛込に生まれました。幼少期に肉親との死別や貧窮を経験しながらも絵画への道を志し、1905年には倉田白羊に師事。その後、白馬会洋画研究所、太平洋画会研究所にて中村不折のもとで学び、画家としての基礎を築きました。特に中村彝とは無二の親友として交流を深めました。鶴田は生涯の多くを写生の旅に費やし、日本各地のみならず朝鮮半島、満州、ロシアにまで足を運び、人間、自然、動物など、あらゆる「生」をモチーフに描き続けました。
第二次世界大戦中には、新聞通信員として従軍し、大日本従軍画家協会の設立発起人に名を連ねるなど、「戦争画」の制作にも深く関与しました。しかし、終戦を迎えると、1946年には自宅にアカデミー美術研究所を開設し、新たな画業へと歩みを進めます。 「池袋への道」は、まさにこの終戦直後の1946年に制作されており、戦争によって一変した日本の風景と、その中で画家が何を見つめ、何を描こうとしたのかを物語る作品と言えます。
本作品は、油彩・カンヴァスの技法で描かれています。鶴田吾郎の油彩作品は、「盲目のエロシェンコ像」や「牛」、「花とカナリヤ」といった作品に見られるように、対象の存在感を重厚な筆致と色彩で表現する特徴があります。 「池袋への道」においても、油彩特有の深みのある色合いとマチエールが、荒廃した戦後の街の風景にリアリティを与えています。
1946年の東京、特に池袋は、第二次世界大戦による空襲で壊滅的な被害を受け、多くの建物が焼失しました。焼け野原となった駅周辺には、戦後の混乱期に闇市が形成され、人々が生活物資を求めて集まる、混沌とした光景が広がっていました。 「池袋への道」は、このような焼け跡が残る池袋の情景を捉えたものであり、「建物はわずかしか残っていません」と評されるように、戦争の傷跡が生々しく描かれています。 この作品は、単なる風景描写に留まらず、戦争によって破壊された日常、そしてそこからの復興へ向かう人々の姿を象徴的に表現していると考えられます。画家は、この作品を通して、戦後の日本の現実を直視し、記憶に刻むことを意図したのではないでしょうか。
「池袋への道」は、豊島区に所蔵されており、戦後池袋の風景を伝える貴重な美術作品として、これまでにも複数の展覧会で展示されてきました。例えば、東京芸術劇場で開催された展覧会「池袋への道―近世の歴史資料、池袋モンパルナス、森山大道」では、「戦後池袋―混沌の記憶と子ども」の章で紹介され、1940年代から50年代にかけての復興の様子を伝える作品として位置づけられました。 また、池袋がかつて多くの芸術家が集った「池袋モンパルナス」と呼ばれた地域であったことも、この作品の背景を理解する上で重要です。戦災により多くのアトリエが焼失した中で、鶴田の作品は、その後の池袋の変遷を考える上での起点となる役割も果たしています。
「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展は、鶴田吾郎の出身地である新宿と近代美術の歴史をたどるものであり、本作品の展示は、戦後復興期の東京、特に新宿と隣接する池袋という地域の文化的・歴史的文脈を理解する上で重要な視点を提供します。 「池袋への道」は、一画家の個人的な視点を超え、戦後の日本社会が共有した記憶と経験を喚起させる作品として、今後も多角的な評価と影響を与え続けることでしょう。