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下落合風景 / View of Shimo-Ochiai

手塚緑敏 / Tezuka Ryokubin

手塚緑敏の油彩画「下落合風景」は、1933年頃に制作されたとみられる作品で、新宿歴史博物館に所蔵されています。この作品は、開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」展で紹介されています。

制作背景と経緯

洋画家である手塚緑敏は、作家・林芙美子の夫として知られています。1930年(昭和5年)、手塚緑敏は林芙美子とともに上落合850番地にあった尾崎翠の旧宅へ転居しており、「下落合風景」はこの頃に描かれたと考えられています。当時、手塚緑敏は林芙美子と暮らし始めた初期に、落合付近を散策しながら目にした風景を写し取っていました。下落合地域は、大正末期から昭和初期にかけて多くの文化人が集まった場所であり、手塚緑敏もこの地の情景を数多く描いたとされています。この作品が現在まで残されているのは、彼が上落合に転居し、林芙美子との新生活を始めた当初の記念碑的な意味合いがあったためではないかという指摘もあります。

技法と素材

この作品は、油彩・カンヴァスで描かれています。その筆致や表現手法、カンヴァス地の状態からは、手塚緑敏の初期の作品、いわゆる「若描き」の風情が強く感じられると評価されています。また、絵具の盛り上がりに不自然な箇所があることから、もともと描かれていた別の絵の上に重ねて描かれた、いわゆる「下絵隠し」の可能性も指摘されています。このような制作方法は、画学生時代や創作活動の初期の習作において、しばしば見られる技法です。

作品が持つ意味

「下落合風景」には、1930年代前半の下落合の情景が克明に描かれています。画面を詳細に見ていくと、遠景には火葬場や当時の銭湯であった「吾妻湯」「梅の湯」の煙突、下落合の丘、そして「幸静館」とみられる大きな西洋館などが確認できます。手前には小川が流れる谷間が表現されており、当時の地域の地形や生活の様子を伝える貴重な記録としての意味合いを持っています。この作品は、単なる風景画としてだけでなく、失われゆく都市の風景や、当時の社会の息吹を後世に伝える資料としても価値があると言えるでしょう。

評価と影響

手塚緑敏は、その生涯において多くの「下落合風景」を描いたとされていますが、彼の作品は林芙美子の活動の影に隠れて取り上げられる機会が少ない傾向にありました。しかし、「下落合風景」をはじめとする彼の作品が新宿歴史博物館に収蔵され、展示されることで、改めてその芸術的価値が認識されるようになっています。特に、新宿歴史博物館が所蔵資料展などでこの作品を取り上げることは、手塚緑敏の画業とその作品が持つ歴史的・文化的意義を再評価する上で重要な役割を果たしています。また、手塚緑敏が育てた薔薇が、梅原龍三郎や中川一政といった著名な画家に題材として選ばれるなど、間接的ではあるものの、彼が当時の芸術界に与えた影響も看過できません。