麻生三郎 / Aso Saburo
本作品は、1934年に制作された麻生三郎の油彩作品「自画像」であり、彼の芸術家としての初期における自己探求を示す重要な一点です。この時期は、麻生が美術学校を退学し、本格的に作品発表を開始した直後の、自身の表現を確立しようとする黎明期に位置づけられます。
麻生三郎は1913年に東京に生まれ、1928年から小林万吾の同舟舎洋画研究所で、1930年からは太平洋美術学校で学びました。太平洋美術学校では、後に共に「新人画会」を結成する松本竣介をはじめ、靉光、長谷川利行ら同時代の重要な画家たちと交流を深めています。1933年に美術学校を退学した後、翌1934年から作品の発表を始めており、「自画像」はその初期の発表作品の一つと考えられます。
初期の麻生は前衛絵画に関心を寄せていましたが、後に1938年のヨーロッパ旅行を経て写実の重要性を再認識することになります。この1934年の「自画像」は、そうした美術史の動向や自身の芸術観が揺れ動く中で、画家が自己の内面と向き合い、自身の存在意義や表現の方向性を模索していた時期に制作されたものと推測されます。自身の「生存と意志表示」としての制作という、彼の生涯にわたるテーマの萌芽がこの作品には込められていると言えるでしょう。
この「自画像」は油彩・カンヴァスによって描かれています。麻生三郎の作品は、しばしば「焼けただれて、焦げついたようなマチエール」と形容される暗褐色に塗り重ねられた色面や、重く暗い作風が特徴として挙げられます。具象でありながら抽象との狭間をさまようような表現様式で、闇の中に光を追い求めるかのような内面世界が表現されています。1934年という比較的初期の作品においても、後に彼の代名詞となるこうした重厚な色彩表現やマチエールの兆候が見られる可能性があります。
麻生三郎の自画像は、単なる自己の姿の再現に留まらず、時代や社会、そして画家自身の内面と深く対峙する姿勢を映し出すものとして意味づけられます。特に彼の作品では、戦中から戦後にかけて、深い闇の中に灯る明かりのように、人間存在の核心に迫る表現が繰り返し見られます。この1934年の「自画像」は、画業の出発点において、画家が自己の存在を問い、芸術を通して現実と向き合おうとする強い意志と、来るべき激動の時代へ向かう自身の精神性を映し出した作品であると解釈できます。
麻生三郎は、戦時中の困難な状況下においても、松本竣介らとともに1943年に「新人画会」を結成し、個の表現を貫きました。戦後も自由美術家協会に加わり、1952年からは武蔵野美術学校(現・武蔵野美術大学)の教授として後進の指導にあたるなど、日本の美術界において重要な役割を担いました。1963年には芸術選奨文部大臣賞を受賞するなど、その功績は高く評価されています。
「自画像」のような初期の作品は、彼が生涯を通じて探求し続けた人間存在や社会との関係性、そして絵画表現の本質への粘り強い問いかけの出発点を示すものとして、その後の彼の画業と日本の現代美術に与えた影響を考察する上で貴重な資料となっています。彼の絵画は、時間をかけて見つめるほど多くのことを語りかけ、現代の絵画にも多くの示唆を与え続けていると評されています。