オーディオガイド トップに戻る
0:00
0:00

牛 / Cow

松本竣介 / Matsumoto Shunsuke

「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展にご紹介する作品は、松本竣介による「牛」です。本作品は1943年から1946年頃に油彩・カンヴァスで制作され、神奈川県立近代美術館に所蔵されています。

制作背景・経緯・意図

画家・松本竣介(1912-1948)は、激動の昭和初期から戦中、そして戦後の日本を駆け抜けた洋画家です。13歳で聴覚を失いながらも、15歳の時に兄から油絵具一式を贈られたことを機に絵画の道に進みました。1943年から1946年という本作品の制作時期は、第二次世界大戦の末期から終戦直後の混乱期にあたります。松本竣介はこの時代に、東京の都市風景やそこに生きる人々、そして動物などを主題としながら制作を続けました。

彼の作品は、一般的に「抵抗の画家」として評価されることもありましたが、近年の研究では、戦時下の複雑な状況における彼の個人的な思索や、人間としての葛藤が作品に込められていることが指摘されています。 「牛」のような動物を主題とした作品は、彼の描く都市風景とは異なる、詩的な静けさや、あるいは戦時下の厳しい現実の中での生命への眼差しを示唆するものと考えられます。 また、彼の息子の証言によると、子供たちの描いた絵から着想を得て、「牛」をはじめとする愛らしい小品が生まれたという背景も伝えられています。

技法や素材

本作品は、油彩・カンヴァスという伝統的な洋画の技法で描かれています。松本竣介は、1940年代前半から、西洋の古典絵画、特にピカソやドランといった画家たちの作品に見られる古典的性格に関心を抱き、油彩における古典的な技法(グリザイユ技法など)を取り入れたことが知られています。 彼の作品は、野外でのスケッチを元にアトリエで丹念に練り上げられ、時には現実を大胆に変形させたり、複数の実景を組み合わせたりする制作プロセスを経て、丁寧な絵肌が作り上げられました。 冷たく澄んだ空気感と詩的な静けさを特徴とする彼の画風は、こうした細やかな筆致と深い思索に裏打ちされています。

作品の意味

「牛」に込められた意味について、具体的な作家自身の言及は多くありませんが、制作された時代背景から多角的な解釈が可能です。戦時中という困難な状況下で、素朴な「牛」の姿を描いたことは、普遍的な生命へのまなざしや、静かに耐え忍ぶものの象徴として捉えられます。 また、家族の日常や子供の無邪気な視点からインスピレーションを得たという逸話は、激動の時代にあっても、ささやかな日常の中に美しさや希望を見出そうとする画家の姿勢を示しているとも考えられます。 松本竣介の作品全般に共通する、透明感を湛えた画面や抒情性は、この「牛」にも息づいており、観る者に内省的な静けさを問いかけます。

評価や影響

松本竣介は、わずか36歳で夭折したにもかかわらず、その短い画業の中で多彩な表現を展開し、日本の近代美術史に確かな足跡を残しました。 彼の没後10年となる1958年には、神奈川県立近代美術館で「松本竣介・島崎鶏二」展が開催され、公立美術館として初めて彼の仕事が本格的に紹介・評価される重要な機会となりました。 神奈川県立近代美術館は、松本竣介に関する調査研究と資料収集を積極的に進めており、多くの油彩画やデッサンを所蔵しています。 「牛」を含む彼の作品群は、戦中・戦後の日本の美術がどのように時代と向き合ったかを示す貴重な資料であり、現在も多くの展覧会で紹介され、世代を超えて人々を魅了し続けています。