松本竣介 / Matsumoto Shunsuke
本稿では、開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」展で紹介される松本竣介の代表作《立てる像》について、その制作背景、技法、作品が持つ意味、そして評価と影響について詳細に解説します。
洋画家・松本竣介が《立てる像》を制作したのは1942年、第二次世界大戦の真只中、日本が太平洋戦争に突入していた激動の時代でした。この時期、松本は多くの密度濃い作品を生み出しています。彼は聴覚に障害があったため徴兵を免れており、時局の制約を受けずに制作活動を続けました。
《立てる像》は、松本竣介の「画家の像」と称される一連の自画像の中でも特に重要な位置を占める作品です。1941年には、軍部による美術への干渉に抗議する文章「生きてゐる画家」を美術雑誌『みづゑ』に発表しており、このことから松本は「抵抗の画家」とみなされる一因となりました。《立てる像》は、まさにそのような暗い時代に抗い、画家としての生き方を見つめ直そうとする等身大の自画像として解釈されています。不安を抱えつつも、戦時の困難な状況に立ち向かう画家の決意が伝わる作品であると言えます。
本作は油彩・カンヴァスで描かれ、162.0×130.0センチメートルの大型作品です。松本竣介は1940年頃から画風を転換し、それまでのモンタージュ技法から離れて写実的な表現を強め、明暗法を重視するようになりました。1941年に制作された自身の「自画像」においても、レンブラントの自画像を模写して表現を研究し、線による表現から脱し、古典的な写実を体得しようとしていたことが指摘されています。
背景に描かれているのは、高田馬場近辺、神田川にかかる田島橋とその南詰に建つ目白変電所の一隅であるとされています。描かれた当時の右手前には神田川直線化工事で埋め立てられた空き地がごみ集積場となり、左手には三越の染物工場が操業していた様子が、スケッチ「ゴミ捨て場付近」などにも示されています。
《立てる像》には、静まり返った街に両足を踏ん張って立つ青年像が描かれ、その表情にはどこか不安げな色がうかがえます。人物の背後には広大な空が描かれ、孤独感を強調しています。
かつて、背景の描写について事実誤認に基づく解釈がありましたが、その後の検証により、描かれた情景は当時の現実を正確に捉えたものであったことが明らかになっています。このことは、作品に意図的な否定的な意味を読み取ろうとする従来の論拠が薄れ、むしろ従来看過されてきた画面の諸要素がポジティブな意味を持つ可能性を示唆しています。
「必要を超えるほど、しっかりと」立つ画家の姿は、混沌とした時代の中で自己を確立しようとする強い意志の表れであり、その立ち姿は、個人の自由な表現を主張し続けた松本の姿勢を象徴しているとも言えます。
《立てる像》は1942年の第29回二科展に出品され、戦後間もなく36歳で夭折した松本竣介の代表作の一つとして高く評価されています。この作品は、松本の芸術家としての探求と、時代に対する内省的な問いかけを力強く示すものとして、彼の画業において重要な位置を占めています。
神奈川県立近代美術館は松本竣介と縁が深く、《立てる像》を含む彼の作品を多数収蔵しており、松本の没後には公立美術館として初めて作品の特集展示を行うなど、その再評価に大きな役割を果たしてきました。現在でも、同館のコレクションの中でも特に重要な作品の一つとして位置づけられています。本作品は、アンリ・ルソーの作品と比較されることもあり、モチーフ構成に類似性が見られる一方で、松本の作品にはルソーのような詩的なイメージではなく、都市が持つ影や切ない空気といった独自の雰囲気が色濃く表現されていると指摘されています。多くの来館者に強い印象を与え、後世の芸術家や鑑賞者にも影響を与え続けている作品です。