吉原治良 / Yoshihara Jiro
吉原治良による油彩作品《麦稈帽と仕事着 (麦藁帽子と仕事着B)》は、1931年から1933年頃に制作された、大阪中之島美術館所蔵のカンヴァス作品です。この作品は、日本の近代美術における吉原の初期の重要な転換期を示すものとして位置づけられています。
吉原治良(1905-1972)は大阪に生まれ、中学時代から独学で油絵を学びました。1928年の初個展で「魚の画家」として注目を集めた後、1929年頃に一時帰国していた画家・藤田嗣治と出会います。この時、藤田から自作が他者の影響を受けすぎていると酷評されたことが、吉原に大きな転機をもたらしました。この経験を契機に、吉原は「人の真似をするな」という、後に彼が率いる具体美術協会のモットーにも通じる独自の視点と創造性の探求へと深く傾倒していきます。
《麦稈帽と仕事着 (麦藁帽子と仕事着B)》は、まさにこの藤田からの批評を受けた直後に制作された作品とされています。この時期は、吉原が魚を主要なモチーフとした室内静物画から、より前衛的な作風へと大きく転換する重要な時期にあたります。超現実主義的な要素を取り入れつつ、日常的なモチーフを通して新たな表現を模索する吉原の姿勢がうかがえます。
本作は油彩・カンヴァスで描かれています。この時期の吉原の油彩技法は、筆やペインティングナイフを慎重に用いることで、絵具の物質感(マチエール)を活かした画面を構築していました。しかし、後の激しい筆致や絵具の隆起を特徴とする抽象画に比べると、画面の凹凸は少なく、比較的フラットな堅牢な画肌が特徴です。吉原は油絵の制作に際し、まず墨で和紙や洋紙にデッサンを重ね、そこから面白い構図を選んで油彩画へと展開することもあったとされています。
「麦稈帽と仕事着」という具体的な労働を連想させるモチーフが描かれながらも、作品全体からは単なる写実を超えたシュールな感覚が漂います。鑑賞者によっては、労働後の汗にまみれた仕事着が、まるで宗教画に描かれる花のように描かれ、柔らかな光と風を想起させ、心静かな癒しを感じさせると評されています。これは、ありふれた日常の対象物の中に、より深い意味や芸術的価値を見出そうとする吉原の初期の試みを示すものと言えるでしょう。物質と精神の対峙と融和を探る、後の具体美術協会の思想「物質は精神と握手する」へと繋がる萌芽が、既にこの時期の作品に見られます。
1930年代の吉原治良は、日本の前衛美術のパイオニアの一人として地位を確立しました。1934年には、白昼夢のような幻想的な海辺の風景を描いた連作が二科展に初出品され、出品作5点全てが入選する快挙を成し遂げています。また、1937年には純粋抽象画5点を二科展に出品し、1938年には二科会内部の前衛画家たちによる「九室会」の結成に参加するなど、戦前の抽象美術を主導しました。
《麦稈帽と仕事着 (麦藁帽子と仕事着B)》を含むこの時期の作品は、吉原が初期の具象表現から、超現実主義的な様式を経て純粋抽象へと向かう過渡期の重要な足跡を示すものです。これは、後の日本美術界、特に戦後の「具体美術協会」の結成とその国際的な活動において、吉原が果たした役割の基盤となる創造的な探求であったと言えます。現在、この作品は大阪中之島美術館に収蔵されており、吉原治良の多様な創造の軌跡を示す代表作の一つとして、多くの人々に鑑賞されています。