東郷青児 / Togo Seiji
東郷青児の油彩画「黒い手袋」は、1933年に制作されたカンヴァス作品で、現在SOMPO美術館に収蔵されています。この作品は、東郷が独自の芸術スタイルを確立していく過渡期における、重要な探求を示すものとして位置づけられています。
「黒い手袋」が描かれた1933年は、東郷青児がフランスからの帰国後、日本における自身の芸術活動の方向性を模索していた時期にあたります。彼は1921年から7年間パリに滞在し、ピカソや未来派の画家たちと交流し、シュルレアリスムが胎動するヨーロッパの最先端の芸術動向を肌で感じていました。
本作は、1929年に発表された東郷の初期の代表作「超現実派の散歩」を想起させる要素を含んでいます。同作の当初のタイトルはフランス語で「宣言」を意味する「デクララシオン」であり、アンドレ・ブルトンの「シュルレアリスム宣言」(1924年)を意識したものと考えられています。東郷はシュルレアリスムを真正面から取り組むというよりも、その表現を自分なりに試してみようとする意欲的な姿勢を見せていました。この時期の作品には、カレンダーなどで見られる甘美な「東郷美人」とは異なる、画家の実験精神が色濃く表れています。
また、この頃、東郷は下北沢にル・コルビュジエ風の邸宅を建て、その費用を捻出するために多くの肖像画や小品、さらには宣伝デザインや挿絵といった商業美術の仕事にも携わっていました。事実、「黒い手袋」は、東京火災(現在の損保ジャパン)のパンフレットの表紙にも使用されています。
「黒い手袋」は油彩・カンヴァスの技法で制作されています。東郷青児の作品に特徴的な、透明感がありながらマットな質感で緻密なグラデーションによって描かれる「東郷ブルー」と呼ばれる独特の青が背景に用いられている可能性があります。画面中央の人物の肌の表現は、後の「東郷美人」にみられる磁器のような滑らかな質感の萌芽が見られますが、本作では絵筆の筆跡がわずかに残っており、これは筆の跡を感じさせない後期作品との相違点として指摘されています。彼の絵画技術は非常に高く、エアブラシで描かれたように見える表現も、実際にはすべて筆によって生み出されています。細部を削ぎ落とした曲線的な造形も、後の東郷様式を予感させるものです。
作品のタイトルにもなっている「黒い手袋」は、中央の人物が片手に黒い手袋をはめ、片足に黒い靴下(またはブーツ)を履いているという、どこか超現実的な、奇妙な印象を与える要素として描かれています。SOMPO美術館の主任学芸員は、東郷が他の作品で黒いモチーフをエロティックな表現として用いた例もあるとしつつも、この作品に関してはエロティックさよりも、一種のおかしみを感じさせると述べています。しかし、それが単におかしさを追求したものであるとは断言できない、という複雑な解釈が示されています。
この作品の人物像は、当時の東郷が「美人」を描くことよりも、「超現実」を表現することに重点を置いていた可能性を示唆しています。
「黒い手袋」は、東郷青児が後年確立する「青児美人」の、滑らかな肌の表現やシンプルに様式化されたフォルムに至る前の作例として評価されています。しかし、その曲線的な造形の中には、すでに後の「東郷様式」の萌芽が見て取れます。
本作に描かれた人物像、あるいは関連性の深い「超現実派の散歩」の人物像は、SOMPO美術館のシンボルマークとして採用されており、東郷青児の代表作の一つとして広く認知されています。この作品は第20回二科展に出品され、当時の画壇における東郷の存在感を示しました。美術作品としての評価に加えて、企業パンフレットの表紙に起用されたことは、東郷が純粋なファインアートのみならず、商業デザインの分野においても多大な才能を発揮し、広い影響力を持っていたことを物語っています。