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靉光像 / Portrait of Ai-Mitsu

長谷川利行 / Hasekawa Toshiyuki

長谷川利行《靉光像》:放浪の画家が捉えた盟友の肖像

「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展で展示される長谷川利行(はせかわ としゆき)の《靉光像》は、1928年に制作された油彩・カンヴァスの作品です。この絵は、日本の近代美術史において特異な存在感を放つ長谷川利行の画業と、当時の画家たちの交流を示す貴重な一点として知られています。

制作背景と経緯

長谷川利行(1891-1940)は、京都に生まれ、詩歌を志した後に30歳頃から独学で油絵を始めた洋画家です。その奔放な画風と波乱に満ちた生涯から、「日本のゴッホ」とも称されます。彼の活動期である昭和初期は、関東大震災からの復興が進む東京が、モダンな文化の胎動を見せていた時代です。長谷川は、浅草や新宿、上野といった東京の街を放浪しながら、都市の喧騒や市井の人々、風景を描き続けました。

本作のモデルである靉光(あいみつ、本名:石村日郎)もまた、日本の洋画史に名を残す重要な画家であり、長谷川利行と同時期に活動し、交流のあった盟友の一人です。 《靉光像》は、長谷川と靉光、そして画家・井上長三郎が共に過ごしたある夜の翌朝に制作されました。長谷川は、靉光の家に宿泊した際、靉光が持っていた古いカンヴァスと自身のパレットを用いて、およそ30分という短時間でこの肖像画を描き上げたといわれています。この逸話は、長谷川の瞬間を捉える鋭い感性と、卓越した描写力を物語っています。

技法と素材

本作は、1928年に油彩・カンヴァスで描かれました。特筆すべきは、前述の通りわずか30分という短時間で制作されたという点です。これは、長谷川利行の画風を象徴するものであり、彼は「自由奔放な筆致と明るい色彩」で知られています。描かれた線は力強く奔放に走り、絵具はまるで踊るかのような塊となって画面に生命力を与えています。独学で技法を体得した長谷川は、対象の本質を素早く捉え、その感情や雰囲気を鮮やかな色彩とダイナミックな筆致で表現することに長けていました。既存の様式にとらわれない彼の表現は、多くの同時代の画家たちに影響を与えました。

作品の意味

《靉光像》は単なる肖像画に留まらず、当時の画家たちの間にあった深い友情と、彼らが築き上げていた芸術的コミュニティの一端を示しています。長谷川利行にとって、靉光は深い信頼関係で結ばれた存在であり、その顔を描くことは、単なる形を写し取る以上の意味を持っていたと考えられます。瞬時のうちに描き上げられたこの作品には、対象の内面が凝縮され、長谷川独自の視点を通して靉光という人物が再構築されています。長谷川の作品は、その壮絶な生き様とは裏腹に、しばしば明るい輝きや幸福感さえ感じさせるものがあり、本作にもそうした長谷川特有の人間味溢れる温かさが感じられます。

評価と影響

この作品は、1930年1月に開催された第4回1930年協会展に出品され、注目を集めました。長谷川利行の作品は、靉光自身や井上長三郎、吉井忠といった「池袋モンパルナス」と呼ばれたグループの若い画家たちに大きな影響を与え、「熱狂的な支持者やコレクター」を生み出しました。

特に印象的なエピソードとして、靉光が兵役中に同僚が長谷川利行の描いたある絵を気に入り称賛しているのを聞き、それが自身の肖像画である《靉光像》であることを照れくさそうに明かしたという話が残っています。この逸話は、作品が画家仲間だけでなく、より広い人々の間でも知られ、評価されていたことを示しています。

《靉光像》は、長谷川利行の代表作の一つとして、彼の芸術性、人間性、そして当時の画家たちの生き様を伝える貴重な作品であり、日本の近代美術史における重要な位置を占めています。