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戸山ヶ原 / Toyamagahara

逸見享 / Henmi Takashi

逸見享《戸山ヶ原》(1931年)

開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」展にて紹介される逸見享の《戸山ヶ原》は、1931年に制作された木版画作品です。逸見享(へんみ たかし、1895-1944)は、大正から昭和戦前期にかけて活躍した日本の版画家、そして装幀家として知られています。

制作背景と意図

逸見享は和歌山県和歌山市に生まれ、1913年に上京し、1915年には同郷の先輩である田中恭吉の遺作展に感銘を受け、版画制作への道を歩み始めました。ライオン歯磨本舗小林商店(後のライオン株式会社)の意匠部に勤務する傍ら、木版画の制作に没頭し、詩人の大手拓次とも交流を深め、共に詩画集を刊行するなど、詩情豊かな創作活動を展開しました。

彼は1919年の第1回日本創作版画協会展への出品を皮切りに版画家としての活動を本格化させ、日本版画協会や春陽会展など主要な美術団体で作品を発表しました。また、1928年には恩地孝四郎らと共に「卓上社」を結成し、さらに翌年には「創作版画倶楽部」の創立にも参加するなど、創作版画運動の中心的な役割を担いました。

1931年という制作年は、逸見が関東大震災からの復興期の東京を描いた連作『新東京百景創作版画』に13作品を寄稿した時期と重なります。この連作では、《植物園》(1929年)、《帝国ホテル》(1930年)、《聖橋》(1930年)、《四谷見附雨景》(1930年)、《本郷元町展望公園》(1931年)といった東京の風景が木版画で表現されています。

《戸山ヶ原》は、かつて東京市牛込区(現在の新宿区)にあった広大な原野であり、陸軍戸山学校などが置かれた場所でした。この作品が制作された背景には、震災後の東京の変貌を記録し、変わりゆく都市風景の中に詩情や郷愁を見出すという、当時の創作版画運動における一つの潮流があったと考えられます。逸見は、都市の情景を独自の視点で捉え、叙情的に表現することを意図していたと推測されます。

技法と素材

逸見享は木版画を主要な表現媒体としていました。彼の版画作品は、細やかな線描と豊かな色彩表現が特徴で、木版画ならではの温かみと、どこか憂いを帯びた独特の雰囲気を醸し出しています。《戸山ヶ原》も、当時の彼の他の多くの作品と同様に、木版画の技法を用いて制作されたと考えられます。木版画は、版木を彫り、インクを乗せて紙に刷ることで、複数の版画を制作できる特性を持ちます。これにより、作品はより多くの人々に届けられ、当時の芸術普及にも貢献しました。

作品の持つ意味

《戸山ヶ原》が描かれた1931年頃の戸山ヶ原は、開発が進む一方で、まだ自然が残る場所でした。この作品は、近代化の波が押し寄せる都市東京の中で、失われゆく風景や、都市と自然が混在する情景を切り取ったものとして解釈できます。逸見の作品全体に見られる「詩情」は、《戸山ヶ原》にも通底しており、単なる風景描写に留まらず、そこに込められた郷愁や移ろいゆくものへの眼差し、そして生命の尊さといった深遠なテーマを内包していると考えられます。変わりゆく東京の姿を記録しつつも、個人的な感情や詩的な感覚を通して再構築された風景は、鑑賞者に静かな思索を促します。

評価と影響

逸見享は、創作版画の分野において、詩的で叙情的な作風を確立した重要な作家として評価されています。彼の作品は、当時の洋画や日本画とは異なる独自の表現を追求し、多くの版画家や詩人に影響を与えました。特に、都市風景を主題とした作品群は、大震災後の東京の復興と変貌を記録した歴史的資料としての価値も持ち合わせています。

和歌山県立近代美術館には彼の多くの作品が収蔵されており、2015年には生誕120年を記念した特集展が開催されるなど、没後もその功績は高く評価され、現代に伝えられています。《戸山ヶ原》は、逸見享の都市風景画における詩情と、当時の東京が経験していた変化を映し出す貴重な一点として、その存在意義を放っています。