佐伯祐三 / Saeki Yuzo
洋画家・佐伯祐三が1926年に手掛けた油彩画《下落合風景(テニス)》は、現在開催中の「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展において紹介されている作品です。本作品は油彩・カンヴァスで制作され、新宿区(落合第一小学校)が所蔵しています。
佐伯祐三は1898年に大阪で生まれ、短くも鮮烈な生涯を送った画家です。1924年に初めてパリに渡り、フォーヴィスムの画家ヴラマンクの影響を受け、都市の風景を描く独自の様式を確立しました。1926年に一時帰国し、その間に本作を含む「下落合風景」の連作に取り組みました。
この一時帰国中、佐伯は自身の住居があった下落合周辺に画題を求め、パリで培った描写法を日本の風景に適用しようと試みました。彼は「日本の風景はぼくの絵にならない」と語ったとも伝えられますが、この時期に描かれた「下落合風景」や「滞船」の連作には、日本の風景を自身の作風で表現しようとする模索の跡が色濃く表れています。
《下落合風景(テニス)》は、現在の西武新宿線中井駅周辺、かつて中村彝ら多くの芸術家が集住した下落合の風景を描いたものです。具体的には、目白文化村内にあった益満邸のテニスコートが描かれていると特定されています。 この作品は、隣に住む落合第一小学校の教諭であった青柳辰代への贈呈品として、通常よりも大きな50号のキャンバスを用いて制作されました。 制作は1926年10月11日の晴れた秋の日に着手されたとされています。
素材は油彩・カンヴァスが用いられています。 佐伯祐三は素早い筆致で知られ、伝説的な早描きであったと伝えられています。 本作においても、綿密な観察と計画的な描画プロセスが見て取れます。特に空は薄塗りで描かれ、素早く乾燥させてから、その下の風景を描き進めるという手法がとられました。 木立や草原、建物の表現には、絵具の重ね塗りが計算されており、乾ききった絵具の上に新たな絵具を重ねることで、下の色と混ざり合うことなく、奥行きや質感を表現しています。 この時期の日本の風景画には、油彩でありながらも素描のような筆致が感じられ、白線や白い面が効果的に配置されることで、佐伯特有の表現が強調されています。
《下落合風景(テニス)》は、佐伯祐三が一時帰国中に取り組んだ「下落合風景」連作の代表作の一つです。この連作は、彼がパリで習得した表現方法を日本の日常的な風景に適用しようとした重要な試みであり、画家の内面や深い精神性が投影された「自画像」にも例えられます。 テニスコートという西洋的な要素を含む場所が、日本の生活感あふれる下落合の地で描かれている点は、当時の日本の近代化と西洋文化の流入を示す象徴的な側面も持ち合わせています。また、電信柱や電線といった空に向かって伸びる線描は、第二次パリ滞在期に展開される佐伯の線描表現へと繋がる萌芽として捉えられています。
佐伯祐三の「下落合風景」は、生前のパリ時代の作品と比較して、没後しばらくは高い評価を得られにくい時期がありました。しかし、21世紀に入ってから再検証が進み、再評価の機運が高まっています。 本作品は、佐伯の「下落合風景」シリーズの中でも最大級のサイズであり、落合第一小学校に寄贈され、現在は新宿区が所蔵していることからも、その歴史的・芸術的価値が認められています。 この作品は、佐伯が日本で唯一アトリエを構え、創作活動の拠点とした下落合の地における、彼の画風形成の重要な証拠として、今日まで大切に受け継がれています。