會津八一 / Aizu Yaichi
2024年に開催される開館50周年記念「モダンアートの街・新宿」展において紹介される、會津八一の油彩作品「書帙 燭台 マッチ箱」は、歌人、書家、東洋美術史家、教育者として知られる會津八一(あいづ やいち、1881-1956)の、あまり知られていない絵画への情熱を示す貴重な一点です。1929年に制作されたこの油彩・カンヴァスの作品は、現在、早稲田大学 會津八一記念博物館に収蔵されています。
制作背景・経緯・意図 會津八一は、明治から昭和にかけて活躍した、多岐にわたる才能を持つ文化人です。彼は伝統的な歌壇や書壇に依存せず、独自の道を切り開く「独往」の精神を生涯の指針としていました。その活動は、万葉調の短歌創作、個性豊かな書道、そして古代美術の研究・教育に及びます。しかし、彼の芸術的探求はこれに留まりませんでした。
會津は早稲田大学在学中から西洋画に関心を持ち、古代ギリシャから当時の最先端であったポール・セザンヌに至るまで、広範囲にわたる美術史に精通していました。早稲田中学で教師を務めていた頃には美術部の顧問も兼任しており、後の著名な画家たちを輩出したこの場での指導経験が、彼自身の絵画制作への意欲を育んだと考えられます。また、油彩画においては、中村屋サロンのメンバーであった曽宮一念(そみや いちねん)から直接的な手ほどきを受けたとされています。
このような背景から、「書帙 燭台 マッチ箱」は、會津八一が主要な活動領域とは異なる絵画という表現方法を通じて、自身の美意識や思索を形にしようとした意図が込められた作品と言えるでしょう。彼の「独往」の精神は、既存の芸術ジャンルに囚われず、自らの興味と探求心に基づいて多様な表現を追求する姿勢へと繋がっていました。
技法と素材 本作は、1929年に油彩でカンヴァスに描かれました。油彩画は、絵具の層を重ねることで深みと質感を生み出し、長期的な保存に適した素材です。會津八一の油彩画は、その書における独特な筆致とは異なり、「本格派」と評される確かな技量で描かれています。これは、彼が絵画という表現形式に対しても、深い学術的関心と真摯な態度で向き合っていたことを示しています。
作品が持つ意味 「書帙 燭台 マッチ箱」は、書帙(書物を包む布や箱)、燭台、マッチ箱という身近な静物を題材としています。これらのモチーフは、會津八一の知的で内省的な世界観を象徴していると解釈できます。書帙は学問や知識、燭台は思索の光や精神的な導き、そしてマッチ箱は、その光を生み出すためのささやかな道具として、彼の研究や創作活動における静かで深い時間を想起させます。日用品を丁寧に描き出すことで、彼は日常の中に潜む美しさや、精神的な営みの重要性を静かに示唆しているのかもしれません。
評価と影響 會津八一の主要な業績は歌人、書家、美術史家としてのものですが、彼の油彩画は、その多岐にわたる芸術活動の一環として高い評価を受けています。彼の絵画作品は、書家として著名な會津八一の「もう一つの顔」として、若き日の趣味から本格的な表現へと昇華した多様な才能を示すものとして、しばしば展覧会で紹介されてきました。
特に「書帙 燭台 マッチ箱」が早稲田大学會津八一記念博物館に収蔵され、今回のような記念展示で紹介されることは、會津八一の芸術における多面性を理解する上で、その作品が重要な位置を占めていることの証と言えるでしょう。彼の油彩画は、特定の流派を形成したり、後世の画壇に直接的な影響を与えたりするものではありませんでしたが、一人の文人が芸術のあらゆる可能性を探求した軌跡を示すものとして、今日でも鑑賞者に新たな発見を提供し続けています。