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自画像 / Self-portrait

高村光太郎 / Takamura Kotaro

開館50周年記念 モダンアートの街・新宿にて展示される、高村光太郎の油彩作品「自画像」についてご紹介します。

高村光太郎「自画像」

制作背景と経緯、意図

本作品は、1913年(大正2年)に制作された、油彩・カンヴァスの作品です。作者である高村光太郎は、明治から昭和にかけて詩人、彫刻家、美術評論家として多岐にわたる活動を展開した、日本近代芸術史における重要な存在です。伝統的な木彫界の巨匠である高村光雲の長男として生まれながらも、1906年から1909年にかけてアメリカ、イギリス、フランスへと留学し、西洋の近代芸術思想を深く吸収しました。

帰国後、光太郎は停滞した日本の美術界に不満を抱き、日本の伝統的な芸術様式からの脱却を目指しました。彼は西洋的な造形と表現を導入し、「日本の美術界における革命のリーダー」と見なされるようになります。1910年には、芸術における個性の尊重と自由な表現を宣言した評論「緑色の太陽」を発表し、芸術家の感情の自由と芸術の自律を強く主張しました。

この「自画像」が制作された1913年頃は、光太郎が欧米留学から帰国後、「彫刻を発表する場がない」という状況の中で、油絵に注力していた時期にあたります。同時期には、岸田劉生らと共にヒュウザン会を結成するなど、新たな芸術運動の中心人物として活動していました。このような背景から、本作品は西洋で培った表現技法と、芸術における自己の確立を追求する光太郎の内面的な葛藤と探求が色濃く反映されたものと言えます。

技法と素材

本作品は、油彩・カンヴァスという西洋絵画の伝統的な技法と素材を用いて描かれています。そのサイズは縦60.5cm、横45.4cmです。この技法選択は、光太郎が西洋美術に深く傾倒し、その表現手法を日本に導入しようとした姿勢を示しています。

作品の意味

自画像は、西洋において古くから画家が自己の内面を追求し表現する手段として描かれてきました。高村光太郎自身も、「顔ほど微妙に其人の内面を語るものはない」と語っており、この「自画像」は、彼が自身の内面と向き合い、芸術家としての自己を深く見つめ、表現しようとした試みであると考えられます。留学経験を経て、日本の美術界に変革をもたらそうとしていた時期の自己認識、あるいはその決意が、このキャンバスに込められていると解釈できます。

評価と影響

高村光太郎の「自画像」は、現在、株式会社中村屋の所蔵であり、中村屋サロン美術館のコレクションとして展示されています。新宿中村屋は、明治末から大正、昭和初期にかけて多くの芸術家や文化人が集い、「中村屋サロン」として知られる交流の場となりました。創業者である相馬愛蔵・黒光夫妻は、荻原守衛や中村彝、そして高村光太郎といった若き芸術家たちを支援しました。

この作品が中村屋のコレクションに収蔵されていることは、当時の新宿中村屋が果たした芸術支援の役割と、高村光太郎がそのサロンで交流した重要な芸術家の一人であったことを示しています。光太郎は日本の近代美術に西洋モダニズムを導入し、独自のアイデンティティを確立しようとした先駆者であり、その作品は後進の芸術家たちに大きな影響を与えました。この「自画像」は、そのような高村光太郎の芸術家としての重要な転換期を捉えた作品として、その歴史的・美術史的意義が評価されています。