有島生馬 / Arishima Ikuma
SOMPO美術館で開催される「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」展にて紹介される有島生馬の油彩画「黒衣の女」は、日本近代洋画史において重要な位置を占める作品です。1909年に制作されたこの作品は、作者の初期の画業と、西洋美術からの影響を色濃く反映しています。
有島生馬(ありしま いくま)は、1882年に神奈川県横浜市に生まれました。兄に小説家の有島武郎、弟に同じく小説家の里見弴を持つ、文学と芸術に深い繋がりを持つ家庭に育ちました。学習院を経て、東京外国語学校イタリア語科を卒業した後、1904年には洋画家藤島武二に師事し、絵画の道を志します。
翌1905年からはイタリア、そしてフランスへと留学し、ローマ国立美術学校で学んだ後、パリのグラン・ショミエールに通いました。この留学期間中、1907年にパリで開催されたセザンヌ回顧展に深く感銘を受け、以降、従来の写実的なアカデミックな様式から離れ、印象派風の明るい色調や後期印象派の影響を受けた色彩効果の強い作風へと変化していきました。
「黒衣の女」は、有島生馬がヨーロッパに滞在中の1909年に制作された油彩画です。有島は1910年に帰国後、文芸誌『白樺』の創刊同人となります。同年、白樺社主催の「有島壬生馬滞欧記念絵画展覧会」が上野竹之台陳列館で開催され、この展覧会で「黒衣の女」は「桃色と黒」というタイトルで出品されました。この滞欧作品70点を紹介する展覧会は、当時の日本の若い画家たちに大きな刺激を与えたとされています。
本作品は、油彩・カンヴァスという古典的な素材を用いて制作されています。留学中にセザンヌから受けた影響は、作品の色彩表現に顕著に表れています。明るい色調と強い色彩効果は、有島が生馬が後期印象派の様式を取り入れ、独自の表現を追求していたことを示唆しています。
有島生馬は、「黒衣の女」が発表された後も、日本の洋画壇において多大な影響を与え続けました。帰国後、彼は『白樺』誌を通じてセザンヌをはじめとするヨーロッパの新しい美術を積極的に紹介し、近代日本画壇の革新に大きく寄与しました。また、1914年には文展のアカデミズムに対抗し、新しい芸術表現を志向する二科会の創立に尽力しました。さらに、1936年には安井曾太郎らとともに一水会の創立にも参加するなど、画家として、また美術批評家としても幅広い活動を展開し、日本近代絵画史におけるメルクマール的存在としてその名を刻んでいます。
「黒衣の女」は、有島生馬が西洋で吸収した新しい芸術観を日本に持ち帰り、その後の日本の洋画に大きな方向性を示した、彼の画業における転換点を示す作品と言えるでしょう。