中村彝 / Nakamura Tsune
本展「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」において紹介される中村彝(なかむら つね)の油彩画「カルピスの包み紙のある静物」は、1923年(大正12年)に制作された作品です。油彩・カンヴァスの技法で描かれ、現在、茨城県近代美術館に所蔵されています。
この作品は、中村彝の生涯の中でも特に困難な時期に生まれました。大正12年に関東大震災が発生し、その後に結核の症状が悪化した中村彝は、自身の死を覚悟していたとされています。このような極限的な状況の中、彼は限りある生命の時間で新たな画風を確立しようと意図し、本作の他にも「髑髏(されこうべ)を持てる自画像」や「老母の像」といった作品群を制作しました。晩年を過ごした下落合のアトリエは、淡いグレーの漆喰壁に大きな窓が配され、外光が豊かに差し込む明るい空間であったことが知られています。このアトリエの西側壁面にはアーチ状の「飾り穴」があり、本作を含む多くの晩年の作品の背景に、単調さを避け、アクセントや陰影を加える目的で描かれました。
作品の素材としては油彩が用いられ、麻布のカンヴァスに描かれています。寸法は縦60.7センチメートル、横50.2センチメートルです。 描写の特徴としては、直線と曲線を意識した輪郭線によってモチーフの形態が捉えられている点が挙げられます。特に、台に敷かれたカルピスの包装紙の青地に白い水玉模様は、画面に強い印象を与えています。また、画面上部では十字架に向かうかのような線が強調され、背景と手前のモチーフの間で色調やタッチに強弱をつけることで、動きと変化に富んだ画面構成がなされています。
作品が持つ意味合いとしては、画家が死を意識した状況で描かれたことが深く関係しています。結核を患っていた中村彝は、当時「結核素質者にも必要」と謳われていたカルピスを大正9年頃から愛飲しており、この作品に登場するカルピスの包み紙は、単なる清涼飲料としてではなく、病に対する画家の意識を反映している可能性も指摘されています。 また、本作は近代日本の洋画史上において、図像解釈学の観点からも興味深い対象とされています。この作品が描かれた翌年、中村彝はその短い生涯を閉じています。
「カルピスの包み紙のある静物」は、中村彝の晩年における重要な作品の一つとして位置づけられています。初期の遺作展や作品集では「静物」と題されていましたが、1963年(昭和38年)以降に「カルピスのある静物」という記述が現れ、1972年(昭和47年)に刊行された画集で現在の「カルピスの包み紙のある静物」という題名が定着しました。 この作品は茨城県指定有形文化財となっており、2024年秋に開催された「没後100年 中村彝展」や、本展「開館50周年記念 モダンアートの街・新宿」など、現代においてもその芸術的価値が再評価され、多くの展覧会で紹介され続けています。